福島県富岡町から東京都練馬区に避難している遠藤行雄さん(81)は「苦しい3年間だった」と、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの3年間を振り返ります。
福島県富岡町には全国有数の桜の名所、「夜(よ)の森公園」があります。2500メートルの桜並木に2000本の桜が東北一のトンネルを作ります。
「桜の季節には毎年花見を楽しんだ」という遠藤さん。震災後は一度も花見はしていません。「そんな気分になれません」と、悩んだ3年間でした。
南相馬市原町に生まれた遠藤さんは、56歳のときに終(つい)の住み家として富岡町に家を建て、「夜の森公園」で春をめでてきました。
福島第1原発から8キロの地点にあり、原発事故後、知人を頼って千葉県習志野市に避難、その後、娘の住む東京都練馬区で避難生活を送っています。
遠藤さんが国と東電に損害賠償を求める裁判を起こしたのは東電が「あなたは被災者じゃない」と賠償を拒否したことからでした。
1年のうち3分の2以上は、自宅のある富岡町で暮らしていました。建築業の仕事の都合で現住所を千葉県に置いていたことから賠償を受けられなかったのです。
富岡町が発行した被災証明書や住民基本台帳などを示しても東電は、住所が富岡町にないことを理由に賠償をしませんでした。「裁判で決着を付けるしかない」と決意しました。
福島県から千葉県に避難している8家族20人で提訴。第2次提訴を含めて47人の原告団となっています。
遠藤さんは、15歳のときから親方のもとで大工の修業を5年間して、その後独立。工務店を経営。50人の社員を束ねる社長として働いてきました。
「帰る家もなくなり、すべてを原発事故で奪われたのに責任をとらないのはあまりにも理不尽だ」。東電の仕事もした経験のある遠藤さんにとって「完全賠償をするのは当然だ」と考えています。
避難生活のなかで4回の入退院をしました。「石にかじりついても生き抜いて頑張らなければ」と言い聞かせています。
政府が原発を「重要なベースロード電源」と位置づけたエネルギー基本計画を閣議決定したことに「賠償問題一つとってもなんら解決していないのに言語道断だ」と怒ります。
「目に見えない放射能に脅えて暮らす人たちが多数いるのに原発を再稼働させようとしている。どの面さげて政策決定をしているのか」
「原告が一人でも多く集まり、世論に広く訴えていきます」。原告団代表としての決意です。
(菅野尚夫)