原子力規制委員会は、テロ対策施設(特定重大事故等対処施設=特重施設)は「信頼性向上のためのバックアップ施設」であり、特重がなくてもリスクに極端な変化があるわけではないと説明しています。この主張は、東京電力福島第1原発事故前に繰り返された「日本の原発は十分安全」という、「安全神話」を彷彿(ほうふつ)とさせます。
テロ対策の義務付けは、福島原発事故の教訓でもあります。11年の福島原発事故では、津波対策の不備だけでなく、海外の原発で義務付けられていた過酷事故対策やテロ対策などの不備も原因の一つと指摘されています。
事故前手つかず
1979年の米スリーマイル島原発2号機事故や86年の旧ソ連のチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故を経て、欧米の原発では過酷事故対策が義務付けられました。
しかし、日本の電力会社は、チェルノブイリ事故後も日本の原発で過酷事故は起きないと主張。規制側も事業者の主張を受け入れ、過酷事故対策は義務ではなく自主的な取り組みにされました。
2001年の米国の同時多発テロ後、原発のテロ対策の必要性が国際的に意識されました。当時の規制当局の経済産業省原子力安全・保安院はテロ対策について米国から情報提供があったにもかかわらず、福島原発事故前は全く手つかずでした。
米国の原発のテロ対策は全電源喪失を想定して機器の備えや訓練を義務付けており、同様の備えを日本の原発にも要求していれば福島原発事故は防げた可能性があると指摘されています。
特重施設の設置期限の延長は、自民党や国民民主党、日本維新の会などの国会議員が繰り返し国会で求めています。設置を猶予する期限が、認可から5年ということに科学的技術的な根拠がないなどの理由です。そもそも猶予期間中にテロ攻撃がない保証はなく、5年をさらに延ばす理由もありません。
事業者の「虜」に
事業者の都合に合わせて期限を延長すれば、期限の意味そのものがなくなります。痛苦の教訓があります。2006年に改訂された原発の耐震指針は、津波対策が明記され、当初は3年の期限で適合性を確認するとしていました。しかし、保安院は事業者の対応の遅れを追認し、繰り返し締め切りの延長を許し、最終報告書が出されないまま巨大津波を迎えました。その間、東電は巨大津波の試算をしていましたが、保安院に試算結果を報告したのは東日本大震災発生の4日前でした。保安院側は、そこで福島第1原発の停止を求める事もなかったのです。
福島原発事故では規制機関が電力事業者の「虜(とりこ)」になり、監視・監督機能が崩壊していたと批判されました。このため推進機関である経済産業省傘下の保安院を廃止し、規制委が設置されました。
政府が原発回帰を強める中、原発の60年超運転の容認など、政府の意向や事業者の事情に迎合する判断が目立ってきています。独立した規制機関としての存在が揺らいでいます。(おわり)
(「しんぶん赤旗」2026年3月20日より転載)