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福島原発事故15年 津島スタディツアー(下)/国策に翻弄された歴史

津波・原発の現実 若者に

 東京電力福島第1原発事故から15年たった今も、立ち入りが制限されている福島県浪江町津島地区。一昨年、津島地区を拠点に一般社団法人原発事故影響研究所がたちあがり、「津島復興塾」という名のスタディツアーを企画しました。どうすれば津島を知り、原発事故を感じてもらえるか―。地元の住民たちと一緒に復興・再生に取り組む獨協医科大学の木村真三准教授が企画したのは若者を対象にしたスタディツアーです。

 1回目のツアーでは避難を続けている住民との交流、帰還困難区域に入り、住民が暮らしていた家などをまわりました。さらに同県双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館と、海岸沿いにある請戸小学校(浪江町)をたずね、原子力災害だけでなく、津波の被害状況も学びました。

 事故当時、幼稚園児だったという学生たちは、東日本大震災の津波と地震の規模の大きさを目の当たりにし、言葉を失っていました。

 高知県立大学で看護学を学んでいる野口恋さんは「津波のすごさに圧倒された」と言います。体育館の避難所などリアルで受け止めるのに精いっぱいだと語りました。

 同大で看護学を学んでいる小島瑛人さんは「高知に住んでいるので南海トラフ地震がいつ起こるのかという意識で今回のツアーに参加した」と言います。「防災に関心があって学んできたけど、現実に起こることは想像以上だと気づかされた」と言います。

満蒙開拓団の碑

 木村さんは、放射能測定のため津島地区全域を歩いていたとき、林の中の墓地に満蒙開拓団を追悼する碑を見つけました。戦時中、国策で福島県内から選ばれ、130戸約500人が中国東北部に入植。敗戦時にはソ連軍の進駐などで甚大な犠牲者が出たという歴史があります。命からがら引き揚げてきた人たちが、津島地区の赤宇木(あこうぎ)に入植し、開墾して住み始めました。

 木村さんは「津島地区には国策に翻弄(ほんろう)された歴史があった。原発事故で今度は人が入れなくなるという事態に追い込まれている」と語り、背負わされた歴史をなかったことにしたくないという思いをにじませました。

 国は復興の加速化を掲げ、帰還困難区域に設置していたバリケードを開放し、立ち入り制限の緩和をおこなうとしています。一般の人の立ち入りが容易になり、被ばくを容認するのと同じではないかと木村さんは指摘します。「除染せずに規制緩和だけするなど、住民は望んでいるのだろうか。棄民政策ではないか」

共同で旅館再開

 津島地区で旅館業を営んでいた今野秀則さんと木村さんは、共同で今野さんの松本屋旅館を再開することにしました。

 今野さんは明治期末ごろに建てられた木造2階建ての旧館を取り壊すか悩んでいました。「津島地区のほとんどがいまだに帰れない。家屋を残すことで子や孫に迷惑がかかるんじゃないか」。自宅を解体した叔母から「秀坊、家は壊すなよ」と言われ、思いとどまりました。

 原発事故の約10年前に旧館の裏に新館を建てた今野さん。木村さんと協議し、旅館業再開を決め、蔵を改装して食堂にする計画です。

 木村さんは昨年、宇宙物理学者の池内了さんと共にたちあげた津島復興会議で、今回の津島復興塾をはじめ古民家再生プロジェクト、郷土料理・伝統芸能の継承、農業再生などのプログラムを用意し、地元住民と話し合いながら進めています。

 今野さんは「この旅館がまちづくりの一歩になってくれれば」と願いを込めて話していました。

 (おわり)

(「しんぶん赤旗」2026年4月17日より転載)