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福島原発事故15年 津島スタディツアー(上)/奪われたふるさと

公共施設も民家も「断腸の思い」で解体

 バリケードの向こう側に長年住んできたわが家がある…。東京電力福島第1原発事故から15年たった今も、帰還困難区域として立ち入りが制限されている福島県浪江町北西部の津島地区。一昨年、津島地区を拠点としている一般社団法人原発事故影響研究所(代表理事・宇宙物理学者の池内了さん)が「津島復興塾」というスタディツアーを立ち上げました。3月末におこなわれた第1回のツアーに同行しました。(都光子)

 東京電力福島第1原発事故の影響で、福島県浪江町の北西部にある津島地区は、高濃度の放射能汚染のため、帰還困難区域とされ、全住民が避難を強いられました。

98%は帰還困難

 「15年たったいま、特定復興再生拠点(復興拠点)として規制解除されたのは地区内のたった1・6%。98・4%は現在も帰還困難区域のまま立ち入りが制限され、除染もされていない。民家だけでなく、旧役場支所、診療所、小中学校など公共施設の解体が進んでいる」

 そう説明したのは津島で旅館を営んでいた今野秀則(78)さんです。2023年3月の規制解除で旅館の出入りが自由になりました。

 約450世帯1400人が暮らしていた津島地区。家の解体費用は公費でまかなわれますが、復興拠点内の解体申請は「解除から1年」という期限付きでした。津島地区全体では、道路際除染や新たに設けられた特定帰還居住区域の除染による分も含め、6割近くの256世帯が家を解体しました。旅館の周辺も更地が目立ちます。

 今野さんは「屋根の瓦がずれたり落ちたりしたところから雨漏りがし、カビが生える。ネズミが入ってくる、アライグマ、ハクビシン、キツネ、イノシシも入ってきて、家の中をめちゃくちゃにする。まわりの木々が家をのみ込み、森のようになっていく。人が住まなくなると家屋は朽ち果てる」と言います。「子や孫に負担を強いることはできないと、費用のことを考えて解体することにした人たちは、断腸の思いだったことを知ってほしい」と言葉を詰まらせました。

 「津島地区の住民はお互いの顔がわかる。名前は思い出せなくても、あそこの孫だなとか。助け、助けられる人間関係を築いてきた」。そうした日々が原発事故で一瞬にして奪われました。その喪失感は計りしれません。

 津島地区には小正月や旧正月の田植え踊りはじめ、さまざまな伝統芸能、文化、行事があります。なかには県無形民俗文化財となっているものも。バラバラな避難先から、時々集まっては交流し、ふるさとの伝統を絶やさないように努力してきたと言います。

日頃のつながり

 2015年、津島地区住民のほぼ半数の約700人が、原状回復と損害賠償を求めて国と東電を相手に裁判をはじめました。今野さんは原告団長です。「最初は弁護士さんから、原状回復を求めるなんて無謀だと言われました」

 10年の歳月をへて今年3月に結審。10月に判決が出ます。「原発事故の過酷な被害について、国・東電は責任を持つべきじゃないですか。われわれが失ったものは家だけじゃない。先祖から未来の子どもたちにつなぐはずのふるさとの財産、日常を奪ったんです」

 ツアーに参加した獨協医科大学医学科の1年生が「裁判は住民の半数が原告となったということだったが、どうしてそれができたのか」と質問しました。

 バラバラに避難した住民の避難先を探して連絡をとるところからはじまった、と今野さん。事故当時50世帯ほどの行政区の区長でした。津島地区の区長8人が自分の担当区の世帯の避難先を把握するのに1カ月もかかりませんでした。「日頃のみんなのつながりがあったからできた」

 高知県立大学看護学科1年の小島瑛人さんは、「地震などの災害と違って、原発事故の被害は家に帰れなくなるんだ。ありえない」と災害の深刻さに驚いていました

(「しんぶん赤旗」2026年4月15日より転載)