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志賀原発と原子力防災を調査・研究30年以上/住民運動石川県センター事務局長 児玉一八さんに聞く

狭く脆弱な能登半島の道路

地震が災害時避難の非現実性を実証

 今年の元日に発生した能登半島地震により、北陸電力志賀原子力発電所が立地する石川県志賀町で震度7が観測されました。地震被害は、事故時の防災対策をはじめ、日本の原子力政策を根幹から揺るがしています。志賀原発と原子力防災などの問題を30年以上調査・研究し、書籍も出版している原発問題住民運動石川県連絡センターの児玉一八事務局長に聞きました。

 (宮澤毅)

 1月1日の16時10分頃、金沢市で長く激しい揺れに襲われました。1993年と2007年の能登半島地震と比べても桁違いで「能登半島で大変なことが起こった」と直感しました。

 山がちな奥能登では道路の多くが狭くて脆弱(ぜいじゃく)で、今回の地震では、それらが各地で通行不能になりました。これらの道路の多くは石川県の原子力防災計画で「避難道路」に指定されています。私は「避難道路」の全てを自動車で走り、「狭い道が多くてすれ違いが困難なところもあるなど、災害時の避難は困難」と指摘してきましたが、今回の地震でそれが実証されてしまいました。志賀町の稲岡健太郎町長は「海にも空にも逃げられない」「首長として以前のように安全性をアピールすることは難しい」と地元紙・北陸中日新聞(2月3日付)で語りました。

志賀原発周辺での断層の調査=2013年(児玉さん撮影)

動いた活断層を11年前には指摘

 11年前に出版した『活断層上の欠陥原子炉 志賀原発』(東洋書店)では、住民運動と科学者の調査で志賀原発の北9キロメートルにある富来川(とぎがわ)南岸断層が活断層であることを明らかにしたと書きました。北陸電力は活断層ではないと主張していましたが、今回の地震でこの断層が活動したことが分かっています。

 化学を学んでいた大学3年の時に第1種放射線取扱主任者の国家免状を取得し、それ以来、原発や放射線の問題をライフワークとして取り組んできました。原点は子どもの頃に見た、郷里・福井県の原発です。

 志賀原発1号機の試運転が始まった1991年からは原子力防災計画の研究と同訓練の視察を続けています。

 日本の原子力防災対策は福島第一原発事故後、対策地域の範囲が半径10キロメートルから30キロメートルに変更され、5キロメートル以内は「放射性物質の環境への放出前に直ちに避難」、5~30キロメートルは「空間放射線量率を実測し、測定値に基づいて避難、屋内退避」することになりました。

 志賀原発では、30キロメートル以内に約17万人が住んでいます。道路が不通になれば測定車両も走れません。今回はモニタリングポストもデータが送信不能になりました。

 福島第一原発事故後に福島県で多くの方々が災害関連死したことで、避難行動の過酷さもリスクと認識されています。『原発で重大事故 その時、どのように命を守るか?』(あけび書房)はこうしたことを分析し、現在の防災計画は非現実的と指摘して、原発事故発生時の命を守るための行動について提案しました。

児玉さんの著書

実効性ある対策実現容易でない

 原子力防災対策が実効性を持つには、次の「3カ条」を満たす必要があります。

 (1)原発事故の状況を電力会社が包み隠さず知らせ、それを信じてもらえる信頼を電力会社が住民から得ている(2)原子力防災計画に実効性があり、住民がその内容を熟知し、さまざまなケースを想定した訓練が繰り返し行われている(3)放射性物質の放出量・気象状況などを踏まえ、リスクをできるだけ小さくするためにどう行動すればいいか、住民が的確に判断する準備ができている。

 「3カ条」の実現は、いずれも容易ではありません。国と電力会社は自らの責任で実現させる覚悟がないのなら、原発利用から速やかに撤退すべきです。

 こだま・かずや 1960年生まれ。核・エネルギー問題情報センター理事。医学博士。『身近にあふれる「放射線」が3時間でわかる本』『どうするALPS処理水?』など単著・共著多数。

(「しんぶん赤旗」2024年3月5日より転載)