日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > 原発被災経験 胸痛む・・福島の高校生 ドイツで伝える

原発被災経験 胸痛む・・福島の高校生 ドイツで伝える

地域住民と交流する高校生たち=5日、ベルリン

 【ベルリン=吉本博美】福島県出身の高校生たちがドイツを訪ね、東日本大震災の被災経験を伝えています。今月初旬から約2週間滞在し、現地の人々と交流しながら再生可能エネルギーについても学び歩きます。

 被災地の青年支援に取り組むNPO法人「アースウォーカーズ」によるフィールドワークの一環です。代表の小玉直也氏は、震災や東京電力福島第1原発事故から12年が経過し、人々の中で風化しつつあると懸念します。「当時3~5歳の子どもたちの人生にも大きな影響を与えた出来事なのだと、多くの人に知ってほしい。ドイツ滞在が生徒たちの学びと成長につながれば」と話しました。

 5日にベルリン市内の教会で行われた報告会には、反原発に取り組む地元住民や在独日本人など約20人が集まり、生徒たちの経験と思いを熱心に聞き入りました。

 緑の党党員のデルフィネ・シェールさん=ベルリン在住=は「被災体験を聞いて胸が痛みました。原発が与える損害ははかりしれない。子どもたちの傷をどう癒やすかは社会全体の課題です」と感想を語りました。

東京18日報告会 19日には福島で

 生徒たちのフィールドワークの報告会は18日午後0時半、6時半から東京オリンピックセンター、19日午後2時から福島市アクティブシニアセンター・アオウゼで行われる予定です。

原発やめたドイツに感謝 悲劇で終わらせず

高校生の発言

 押山佑太さん(16)と高橋梓希(あずき)さん(16)の発言を紹介します。

 ●押山佑太さん

 震災が起きた時は3歳で、福島市に住んでいました。放射能の影響で外で遊べず、ひたすら家の中で我慢して過ごしていました。両親の考えで8歳の頃に石川県に一時移住しました。転入した小学校で「汚染された福島から来たから近づくな」と、距離を取られた日のことを、今も鮮明に覚えています。親を含め誰にも相談できず、本当につらかったです。

 自分より小さい子どもたちに同じような思いをさせたくない。福島原発の放射能汚染水が海洋放出されようとしていますが、僕は反対です。世界から批判され、海も汚れる。嫌がっている漁師さん、福島の人の意見をもっと聞いてほしい。

 原発をやめたドイツには感謝の思いです。再エネを学び、福島の復興のために何かできたらと思います。

 ●高橋梓希さん

 当時は、いわき市に住んでいました。訳も分からず急いで母と家から出ると、もうすぐ津波がくると言われ車で避難しました。

 郵便局の屋上で、川を逆流する黒い水と津波が引くのを待ち、数日間避難所で過ごしました。帰ったら家の中がぐちゃぐちゃで、すごくショックを受けたのを覚えています。

 妹がまだ母のおなかにいたころ、一人の新聞記者が母に「なぜ産むのか」と聞きました。福島は放射能で危険な場所だと思われていたからです。

 母親も、罪もない赤ちゃんも差別されたのはとても悲しかった。私は将来、福島で女性が安心して赤ちゃんを産めるよう支える助産師になりたいです。

 悲劇として終わらせず、同じことが起こらないよう伝え行動することも「復興」だと思っています。

(「しんぶん赤旗」2023年8月16日より転載)