なかったことにさせない
東京電力福島第1原発事故から3月で12年。被災地で取材を続けるジャーナリストの土井敏邦さんが製作した証言ドキュメンタリー『津島―福島は語る・第二章―』の試写会が、26日午前10時30分から東京・日比谷図書文化館で開かれます。土井さんに思いを聞きました。(徳永慎二)
前作の『福島は語る 第一章』でも、被災者に証言してもらいましたが、今回の『第二章』では6人の方々の証言を収録しました。心に傷を負って生きる人たちの証言ドキュメンタリーをぜひ見ていただきたい。
言葉の力実感
『第一章』の製作から、証言を映像で記録するという手法に挑戦してきました。
というのも、2015年のノーベル賞作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが書いた『チェルノブイリの祈り』を読んで衝撃を受けたのです。事故から10年後の原発事故被害者の証言集です。言葉の力を感じました。
ルポルタージュを書いていたころから、直接話法を多くとりいれてきましたが、「言葉には力がある」と改めて確信しました。
証言を映像として記録する際に、被災の状況やどうやって避難したかは、もちろん聞きます。しかし、大切だと思うのは、その人が吐き出す内面の言葉、心の叫びです。それが見る人の心を揺さぶるのだと思います。どう引き出すのか、私自身、暗中模索しています。
なにか特別の技術があるわけではない。インタビューは聞き手の思想、歩んできた人生、問題意識が反映されます。自分をさらけ出して、教えてほしいという聞き手の学ぶ姿勢を感じたときに、相手もそれに応えてくれると思います。
人間対人間の真剣勝負のなかで、ほとばしり出る言葉が大事だと思います。そして、映像は証言する人の表情、言葉の詰まりまで映し出します。
私自身は挫折し、人生の低空飛行をしてきた人間です。どうすれば、深く生きていけるか、人間の幸せを感じとれるか、という問題意識をもってインタビューしています。
残すべきもの
30年以上、パレスチナ、イスラエルで取材してきました。なぜ福島の被災地なのか、よく聞かれます。私はもうパレスチナには行けないし、行きません。当局のブラックリストにも載っていることでしょうから。パレスチナには入れないけれども、日本人としてやらなければならないことは何かを考えました。
結論は、パレスチナで学んだことを土台にして、日本社会に残しておくことがあると思いました。それが、被災地・福島にかかわる契機です。
ではなぜ福島か。18年に「パレスチナからフクシマへ」という作品をつくりました。ガザに住む世界的に有名な人権活動家を、福島に連れて来た時の記録です。
彼はパレスチナとフクシマの共通点として、二つのことを言いました。一つは、加害者が誰一人罰されていないこと、もう一つは人間の尊厳が奪われていることです。人間が人間らしく生きていく権利が奪われている。一方は占領、一方は原発事故によってです。両方の共通点が生きている人の内面を言葉によって引き出すというところに重なります。
権力に抗って
日本の為政者、経済人は、「フクシマ」がなかったかのように、原発回帰にひた走っています。12年たっても消えない傷、故郷、夢、共同体を失った痛みを見ない。
それに抗(あらが)っていくのが、私たちジャーナリストの役割です。私にできることは、人々の痛みを等身大で伝えていくこと、街頭に立ってその声を記録していくことです。なかったことにはさせません。
どい・としくに 1953年佐賀県生まれ。85年以来パレスチナ、イスラエルなどで取材。パレスチナ、アジアにかかわる多くのドキュメンタリー映画を製作。2019年に『福島は語る』を発表。現在、元イスラエル兵士たちを取材した新作の『愛国と告白―沈黙を破る・Part2―』が各地で公開中。
(「しんぶん赤旗」2023年2月21日より転載)