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福島原発事故「人災だった」・・東電元社長が語った後悔

福島第1原発1号機。右端は2号機=2021年2月5日(本紙チャーター機から佐藤研二撮影)

社会部長 三浦誠

 福島第1原発事故を「人災だった」と言い切った東京電力元社長がいます。南直哉(みなみ・のぶや)氏(86)です。事故の少し後から、今年10月24日に亡くなるまで定期的に南氏を取材してきました。原発を必要とする持論を曲げることはありませんでしたが、事故の反省を繰り返し述べていました。「(東電が)傲岸(ごうがん)で思いあがっていることがあった」と。

 南氏は電気事業連合会の会長も務めました。2002年に点検データ改ざんの責任をとって東電社長を辞任。事故当時は東電顧問でした。

南直哉東電元社長(東電提供)

電力業界の本丸

 なぜ事故が起きたのか―。そんな疑問をぶつけるため、雨のなか自宅前で待っていました。妻が運転する車で帰宅した南氏は、ぬれた姿を気の毒に思ったのか、こう言って家に入りました。「取材を受けるので、東電顧問室に来なさい」

 東電本社近くにあった顧問室を訪問したのは、11年7月7日。南氏は「あんな事故が起こると思っていなかったのは傲岸だった」として、突然、日本共産党の吉井英勝衆院議員(当時)の国会質問について語りだしました。

 「吉井さんの質問を現役時代に聞いていれば検討したかもしれない。正直言って今回の事故が起きるまで知らなかった」

 吉井氏は事故前に、巨大地震で原発の外部電源や非常用電源が断たれ炉心が冷却できなくなる最悪の事態を想定するよう国会で求めていました。財界、電力業界の本丸ともいえる東電の元社長が、共産党の国会質問にふれ悔悟の念を吐露したことは驚きでした。

「あせりがでた」

 木川田一隆元社長(故人)による原発建設の黎明(れいめい)期についても何度か話を聞きました。木川田氏は当初、原発に「非常に慎重」でした。それが関西電力に先を越されたことで「あせりがでた」といいます。

 木川田氏は故郷、福島県で関西電力とは型式の違う沸騰水型原発(BWR)の建設を決め、米GE社と「ターンキー契約」をします。設計から建設、試運転までGE社が責任をもつという内容です。

 南氏は付き合いのあった中島篤之助氏(故人、非核の政府を求める会常任世話人)から「もうけ主義の民間に原発をやらせると手を抜く」と言われたとしてこう続けました。「その通りになった。GEは津波のことを考えていなかったから非常用発電機を地下にいれた」

 事故に話が及ぶときは、いつも目を閉じ、苦しそうに話していました。立地の問題も再々指摘していました。「30~40メートルあった崖をけずり、(海面から)10メートルのところに原発を設置した。崖の上にポンプを循環するとエネルギーロスが大きくなるからだ。それで津波にやられた。電気設備は水につかるとパンクするのは、それは電気屋の常識だ。検討すべき余地がたくさんあった。これは本当に人災だ」

 事故から11年がすぎたいま、岸田文雄首相は原発の最大限活用へとかじを切っています。首相から南氏のような事故への反省や苦悩の言葉は聞かれないままです。もうけ主義から原発を推進し、再び人災を起こすことは決して許されません。

(「しんぶん赤旗」2022年11月5日より転載)