原発事故で一度は県外避難した福島県二本松市の有機農家が、農業再開とエネルギー兼業農家という二つの道を選んで11年。営農型ソーラー(太陽光)発電を広げ、今春にはパネルを縦型にする日本初の垂直営農ソーラーを実現しました。全国から視察に訪れるなど注目されています。(福島県・野崎勇雄)
二本松市北部の耕作放棄地だった畑40アールに垂直ソーラーパネルが4列立ち、パネルは234枚。10メートル間隔の列の間は契約を結んだ酪農家の牧草が植えられています。
「二本松ご当地エネルギーをみんなで考える株式会社」(ゴチカン)の近藤恵(けい)代表取締役(42)は言います。
「強風にも十分耐え、発電効率は野立てよりやや劣りますが、文字通り農業と発電で『シェア』することがソーラーシェアリングの特徴であり、垂直営農ソーラーが果たす役割は大きい」
「町づくりに生かしたい」と滋賀県長浜市から見学にきた男性2人も真剣に聞き入っていました。
あきらめ避難も
近藤さんがソーラーシェアリングの道に入ったきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災・原発事故でした。3ヘクタールの土地で有機農業を始めて数年、「お客が離れ、妻と小さな子ども2人をかかえ、ここで暮らしていくこと自体が大変だろう」と思い、農業をあきらめて避難しました。
しかし、「地域でお世話になって農家として自立したように、自分も他の人に教えるまでになることを目標にして再開したい」と家族より一足早く半年後に戻ってきました。
そのとき思ったのは、これからは自前のエネルギーをつくるエネルギー兼業農家になることです。「以前だったら農家は米やみそをつくっていれば何も心配ないと思っていたが、疎開避難を受け入れるどころか自分がままならないことにがく然としました。この厳しい道を選び、今スタート地点に立ったところ」と言います。
「大震災まで原発についてまったく知らなかった」という近藤さん。戻ってきてから原発の導入と問題点、福島の歴史、再生可能エネルギーなどを深く学びました。「原発は動かしてはいけない。触れてはいけない。事故が万一起こったら国が破綻するようなことを福島の事故で経験したわけだから」と話します。
岸田政権の原発再稼動追加や新増設の閣議決定にも「聞いたときは言葉を失った。片時も原発事故を忘れたことはない」ときっぱり語ります。
世帯電気量2%
ゴチカンなど3社で運営する営農型発電会社「二本松営農ソーラー株式会社」(同代表取締役)が昨年9月に設置した発電所を含めて、同市の世帯の電気量の約2%になります。
二本松市とゴチカンの間では19年10月、再生可能エネルギー推進による地域活性化実現のためのパートナーシップ協定書を締結(21年5月一部改定)。
近藤さんは「全国的に見てもこの取り組みは先進的。ソーラーシェアリングなら価値があるという人も現れており、早く大きくしていきたい」と将来を見すえています。
(「しんぶん赤旗」2022年10月06日より転載)