日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > 「原発事故 風化させぬ」・・宇都宮大学国際学部教授 清水奈名子さんの報告から

「原発事故 風化させぬ」・・宇都宮大学国際学部教授 清水奈名子さんの報告から

市民が土壌を測定し、その数値をもとに作製された放射能測定マップ(『図説17都県放射能測定マップ+読み解き集増補版みんなのデータサイト編』から)

土壌汚染地図 裁判での証言 被災の記録集 市民が取り組む

 岸田文雄首相は8月末、原発新増設・再稼働を表明しました。東京電力福島第1原発事故などなかったかのよう。原子力市民委員会主催のオンライントーク(9月13日)で、「被害の記録と次世代への責任―原発事故被害の『不可視化』にあらがう市民たち」と題する宇都宮大学国際学部教授の清水奈名子さんの報告から、市民のとりくみについて紹介します。(徳永慎二)

 原発事故による被害は、深刻で長期化しています。にもかかわらず、被害の過小評価や否認、支援の打ち切り、意思決定過程に被害者が参加できないなどによって、被害が見えにくくされています。この結果、長期にわたって重層的な被害が発生し、人権侵害をもたらしているのが現状です。

 最も直接的に侵害されるのが健康を享受する権利です。加えて表現の自由の侵害。これには知る権利も含まれます。たとえば汚染の実態を知りたくても、詳細な土壌調査結果は公表されていません。ふるさとの喪失も深刻です。これを人権侵害と言わずしてなんといったらいいのでしょう。

 これに加えて、「復興の足を引っ張るのか」という批判を恐れて、被災者が被害を話しにくいという状況があります。

 その結果、認定された以外の被害は、自己責任で片付けられています。「『いまのあなたの置かれた状況は、あなたが選んできたものだ』と言われてしまう。でも、いつも、『選びたい』と思う選択肢なんて一つもなかった」(吉田千亜著『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』)という避難女性の言葉が象徴的です。自己責任論は被害を増幅します。

■「次」への備え

 健康を享受する権利や知る権利、救済を受ける権利は、事故前から国際人権規約や国連人権理事会の勧告などで確認されています。事故後成立した国内法(原発事故子ども被災者支援法)でも、認められています。

 しかし、被害の認定と補償は、ごくわずかの地域と人々に限られました。

 そうした状況下で、被災者や市民は、11年間被害と向き合いながら記録を残すことを、ある種のあらがい、抵抗の手段としてきました。

 記録にはさまざまな方法があります。たとえば、東日本の土壌汚染のマップの作製、裁判での証言もそうです。さらに、さまざまな立場の市民が記録集を出しています。

 多くが目的として「次の災害に備える」ことをかかげています。再稼働がすすむなかで、また次の事故がおきるのではないか、という疑問を前提にしています。市民は、リアリストであると感じます。

 さらに「次世代への責任」として記録を残すことをかかげています。たとえば、「ふくしま30年プロジェクト」記録誌『10の季節を越えて』は「未来を担う子どもたちがすこやかに成長できる時代を迎えるために」と、その目的をのべています。

 福島県外の記録集では宮城県で『3・11みんなのきろく みやぎのきろく』がでています。放射能の測定や情報の共有という市民の動きは「私たちが『いのち』と『暮らし』に対するかつてない脅威を、身をもって感じたからにほかなりません」とのべています。

 それだけに、原発新増設・再稼働という市民の頭越しの首相発言は大変ショッキングでした。

■消される被害

 私自身の戦争被害の研究でも、戦争被害の事例が数十年たつと、「記録がないので、そのような被害はなかった」とされるケースが数多くあります。原発事故とよく似た構造で、記録の不在が被害の不在に転換されることを危惧します。

 「戦争体験と同じように、意図的に努力をして必死になって伝えていこうと思わないと、今回の原発事故についても風化していく」という被災者の言葉は、そうした危惧の表明とも言えます。

 原発事故にどうむきあうかは、日本社会における人権、民主主義の問題として考える必要があると感じています。

(「しんぶん赤旗」2022年10月03日より転載)