東日本大震災後に造られた災害公営住宅。「終(つい)の住み家」として入居した被災者が、家賃負担増やコロナ禍で孤独な生活を余儀なくされています。宮城県内の入居者をたずねて現状を聞きました。(高橋拓丸)
「負担だけ増える状況です」。そう語るのは、仙台市の災害公営住宅に子ども2人と暮らす40代女性です。両親と暮らしていた市内の実家が津波で全壊し、仮設住宅暮らしを経て2016年から災害公営住宅に入居しました。
震災後、宮城県内21市町が災害公営住宅を建設し、1万5088世帯(2021年現在)が入居しています。深刻化しているのが、「収入超過世帯」といわれる一定以上の所得がある世帯の家賃増です。
この女性の世帯の家賃は約3倍に上がりました。「入居時は『多少上がるかもしれない』という説明でした。子どもが大きくなればお金はかかります。入居時の希望あふれる気持ちはもう残っていません」と話します。
収入超過世帯は入居4年目から段階的に家賃が割り増しで請求されます。11市町が据え置き期間を設定してきましたが、その期間も終わり、家賃が約16万円近くになった世帯もあります。収入超過世帯は県内に約1200世帯あり、働き盛りの若い世帯の退去によるコミュニティー維持困難にもつながっています。
宮城民医連が今年3月に発表した災害公営住宅入居者の健康調査結果では、32・5%がコロナ禍で経済状況が悪化したと回答し、独居世帯が回答者の半数を初めて超えたことが明らかになりました。
減った労働時間
石巻市の災害公営住宅に独居する女性(71)は「若い人たちはどんどん出ていくし、コロナで集まりもできない。近所の孤独死の話も聞くようになりました」と言います。災害公営住宅で確認された独居遺体数は、22年1月までで233人(宮城県警調べ)にのぼります。
女性は市内のスーパーで働いていますが、コロナ禍で労働時間が半分近く減りました。「再発しかかっているヘルニアもしばらく様子見です。夫は震災前に亡くなったのでこんな思いをせずにすんだのではと思ってしまいます」と、遺影を見ながらつぶやきます。
制度つくられず
多くの市町村が被災者支援の延長などに取り組む中、宮城県は市町村に「丸投げ」したままです。
県は11年当初、県営の災害公営住宅1000戸の建設を計画。しかし計画は立ち消えになり、被災3県で唯一、県営の災害公営住宅が1戸も建設されていません。県独自の住宅再建支援制度もつくられていません。
仙台市は、収入超過世帯が167世帯(21年4月現在)と、県内でも多い自治体です。日本共産党市議団が質問を繰り返し、特別家賃低減制度の終了後も一般の市営住宅の減免要綱が適用できるようになりました。現時点で減免を受けている世帯のほぼすべてが減免を受けられるようになる見込みです。
(「しんぶん赤旗」2022年3月10日より転載)