仙台湾沿岸部に面し、見渡す限り水田が広がっている仙台市若林区の荒浜地区。2011年の東日本大震災・大津波で甚大な被害を受けました。この地域で、農業再生に力を注いできた人たちがいます。(中川亮)
15年に同地区で農事組合法人「せんだいあらはま」を立ち上げた佐藤善一さん(74)は、その一人です。「国土、環境の保全、国民の食料生産のためにも、農地を守り続けたい」と熱い思いを口にします。
経営面積は約100ヘクタールに上り、9割以上が水田です。正社員2人、パート5~10人で営んでいます。
まさかの再開
佐藤さんは「ここで農業を再開できるとは全く思っていなかった」と振り返ります。被災直後、海水がたまり、がれきまみれだった一帯を目の当たりにし、打ちひしがれていました。
自身や親族は無事でしたが、「荒浜地区のリーダー」だった3人の農家を津波で失いました。
復旧工事が進む中、今後の荒浜地区の農地をどうしていくか住民が話し合いました。70歳を超えた兼業農家が多く、「いまさら何千万円もかけて大型機械、資材を調達できない」「やめざるを得ない」という声がありました。
しかし、「われわれの先祖が400年かけて湿地帯を開墾し、田んぼにしてきた」「この土地を守りたい。何とかしてくれないか」と先輩の農家から頼まれた佐藤さん。農家の息子として生まれ、23歳からデザイン学校の教員を務めてきて、「まともに農業をしたことがなかった」といいます。
それでも、先輩の声に背中を押され「本気になってまとめていく」と農地を引き受ける決心をし、農業再生へ行政との交渉などに駆け回ってきました。
13年、震災後初めて大豆などの栽培を始め、翌年には米の作付けにもこぎ着けました。集落営農組合を法人化(15年)し、国からトラクターやコンバインなどの機械の無償貸与(リース)も受け、規模を拡大してきました。
続けて支援を
新型コロナウイルス禍の下で、主食用米の販売額は以前の半分以下に落ち込んでいます。他の作物への転作を促す国の方針に、「地質の関係もあって畑作化は不可能に近い。荒浜で畑作は定着してこなかった」と悩んでいます。
米の収量(10アール当たり)は震災前の8俵(480キロ)を回復できていないといいます。佐藤さんは「農作物がよく育つよう地力をつけることが必要だ。国や県、市は引き続き支援を」と求めます。
「コロナ禍という突発的で、予想しなかった困難に直面している。災害対応に匹敵するような支援をお願いしたい」。こう話すのは、21年に、せんだいあらはま代表理事となった松木長男さん(63)です。
米の需要減・価格暴落による打撃と、今後の機械更新、修理とが重なり、不安が募ります。がれきなどが埋まった田んぼを耕してきたためトラクターが損傷。昨夏には1台の修理に250万円かかりました。
「震災後、多くの支援をいただき、ここまで再生できた。困難を何とかしのぎたい」と松木さん。「5年、10年先を見据えた農業を展開し、次世代が『ここで仕事をしたい』と思えるような事業をつくる」と意気込みを語ります。
(「しんぶん赤旗」2022年3月9日より転載)