「政府は『復興』『復興』と声高にいいます。それは『復興神話』にすぎず、だまされてはいけない」
福島県楢葉(ならは)町から、いわき市に避難している宝鏡寺の浄土宗住職の早川篤雄(とくお)さん(74)は、国の復興策を厳しく批判します。「被災県民の暮らしがよくなってこそ復興といえます。暮らしは悪くなるばかりです」
■胸中には悔しさ
早川さんがいる寺は第1原発から南に15キロのところ。2011年3月11日、大震災が起きたとき「原発はどうなっているのか? 大丈夫なはずがない」と、不安がよぎりました。町の広報無線からは原発に関する情報は流れません。一夜が明け、「全町民は避難しなさい」との指示が突然、出ました。「やっぱりだめだった。頭は真っ白になった」と、そのときを振り返ります。
原発問題福島県連絡会代表の早川さんらは、福島県双葉郡の沿岸部に原子力発電所建設が持ち上がった当初から今回のような事故がおきる危倹性を指摘して建設反対を訴えてきました。「やっぱり」と発した胸中には、万感の悔しさが込められていました。
1972年、原発・火発反対福島県連絡会を結成。その後、75年に東京電力福島第2原発の設置許可の取り消しを求めた「原発訴訟」を地元住民404人と起こしましたが92年、最高裁は訴えを棄却。敗訴が確定して20年になります。
政府も、東電も、裁判所も「原告らの訴える原発の不安や危険性の主張は、危慎、懸念の範ちゅうに属する」と真剣に聞かなかったのです。
■先の人のために
早川さんたちは屈しませんでした。
2012年12月、福島原発避難者訴訟を福島地裁いわき支部に提訴。今年10月2日、第1回口頭弁論が開かれ、早川さんが陳述しました。
「1395年開山、600年来鎮座してきたご本尊と8体の仏像もアパートの押し入れに避難しています。この間、お檀家の中で25人の方がなくなりましたが、お葬式もできず納骨もできない方が6人おります」と原発事故で古里を奪われた過酷な避難生活の実態を告発しました。
障害者施設を運営する早川さんは原発事故で3月12日、14人の障害者たちと一緒に避難しました。94人いた障害者は、てんでんばらばらになりました。
そのうち5人が亡くなりました。「原発事故に絶望して自ら命を絶った人や一家無理心中した家族もあります。亡くなった命はかえらない。この人たちの復興は永遠に閉ざされたのです」
600年の歴史を持つ寺も再興させる展望は、原発事故の放射能汚染で阻まれています。「子どもや孫は戻ってこない。孫は家を継ぐ予定でいるが、戻って継ぐようには私は言えません」。住職としての深い苦悩がにじみます。
「未来が見えず暗中模索。手探りで生きてきた2年8カ月」だったと早川さん。「100年先、200年先の人たちのために残る人生をたたかい続ける覚悟です。本当の意味での復興まで、訴え続けます」(菅野尚夫)