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福島県浪江町津島 帰還困難区域のいま・・畑に山砂 農業できない

環境省HPから

ずさんな除染、形だけの復興

 東京電力福島第1原発事故による放射能汚染で帰還困難区域となった福島県浪江町津島。今春まで31年間、日本共産党の町議として町のために活動してきた馬場績(いさお)さん(77)の案内で、事故から10年以上たった現地を訪ねました。(小林圭子)

 馬場さんと妻の靖子さん(80)は津島の自宅から車で1時間半ほどの二本松市の隣、大玉村に避難しています。国道114号を進むと津島地区の入り口に「除染作業中」ののぼりが立ち、作業員やダンプが忙しく動いていました。

 この日は、自宅の隣にある畑の除染について環境省の職員に現場を見てもらうといいます。

 国が進める農地の除染は、表面を削りその上に山砂をかぶせるものです。山砂は、安価で庭などに使われ農地には適しません。

 自宅に着くと今まで優しく笑顔を見せていた績さんの表情がこわばりました。畑に山砂が敷かれていたからです。

 「何やってんだ。こんな土で百姓できるか」と同省担当者に詰め寄る績さん。担当者は除染範囲が広大なために農地用の土が「用意できなかった」とした上で、「工事の仕様書にも山砂を使うと書いています」と説明します。

 「百姓の魂を抜かれてしまう。俺は戻って来て百姓するんだ」―績さんの顔に怒りと悲しみがにじみます。粘り強く訴えた末、山砂は撤去し別の土を入れることになりました。

 町議として事故前から原発の危険性を訴え続けてきた績さん。「何の罪もない人たちが被害にあった。原発事故は必ず起きる。だから原発をやめるしかない」

原状回復求め

 績さんも原告となっている、福島原発事故をめぐる「ふるさとを返せ」津島原発訴訟では、山林を含めた除染による原状回復を求めています。7月の一審判決では、国と東電の責任が断罪されました。しかし、原状回復の請求は却下。

 山に囲まれた津島では、雨が降れば山林から汚染された水や土が下りてきます。績さんは形だけの除染や復興では、安心して暮らせないと強調します。

 国は優先的に除染や解体を進める特定復興再生拠点区域を定めています。津島地区の認定は中心部のわずか1・6%です。馬場さんを含め区域外の住民は避難指示解除になるまで帰宅することはできません。

ふるさとの姿

 馬場さんの自宅は道路際20メートル幅の除染が終わり庭を覆っていた草は取り除かれ、自慢の山紅葉が見事に色づいていました。庭の美しさと対照的に家の中は、動物に荒らされ足の踏み場もない状況で、「壊すしかない」と解体を決めました。それでも、新しく小さな家を建て、ここで農業をすることをあきらめていません。

 復興拠点になっている津島中心部を訪ねました。中心部に向かう町道に入るには、事前に日時や車のナンバーなどを登録して町の許可が必要です。除染が終わり作業員もいない中心部は、住民がいない悲しさが漂います。

 役場支所や診療所、唯一のスーパー周辺は「津島銀座」と呼ばれ「にぎわっていた」と、靖子さんが震災前を思い出します。

 県西部の会津出身の靖子さんは、「正直避難するまで津島をふるさとなんて思ったことはなかった」と。失ってはじめて津島の人々や自然とのつながりを思い返し“ふるさと”に気付いたといいます。

 先祖が明治の中期に開拓し、戦後を乗り越えたこの土地を守り、ふるさとを取り戻す決意を、はらはらと舞う落葉を見つめながら績さんは語ります。「落ち葉の後には必ず若葉が芽吹く。『新たな春を呼ぶ』という出発なんだ」

(「しんぶん赤旗」2021年11月11日より転載)