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東電「報告書」に欠落するもの・・新潟大学名誉教授 立石雅昭さんが寄稿

立石雅昭・新潟大学名誉教授

経営陣 低い核防護認識

 東京電力が、柏崎刈羽原発(新潟県)で相次いで発覚した核セキュリティー上の不祥事に関する報告書を原子力規制委員会に提出したことについて、原発問題住民運動全国連絡センター代表委員の立石雅昭・新潟大学名誉教授に寄稿してもらいました。

 9月22日、東京電力は原子力規制委員会に対して「IDカード不正使用および核物質防護設備の機能の一部喪失に関わる改善措置報告書」を提出するとともに、会見を開き、概要を説明し、本事案に関して設置した独立検証委員会による「検証報告書」を公表しました。

体質の分析なし

 その「改善措置報告書」「検証報告書」を読み、会見を視聴して、私はあらためて「東電には原発を扱う資格がない」ことを痛感しました。「検証報告」では、核防護に対する脆弱(ぜいじゃく)性を生み出した根本要因を、核物質防護リスクの認識の弱さ、現場実態の把握の弱さ、外部からの指摘を生かし是正する力の弱さの3点としましたが、この分析自体、東電はなぜ、かくも同じ過ちを繰り返すのか、という東電の本質的な体質の分析が欠落しています。

 新潟県の原発の安全管理に関する技術委員会が福島原発事故の要因を検証する過程で、東電が炉心溶融(メルトダウン)の定義があったにもかかわらず、それがないと主張しつづけ、さらにその定義に沿えば、事故直後に炉心溶融に至っていたことが2016年に明らかにされました。その際、東電は第三者委員会を設置し、その検証報告を元に、「反省と誓い」なるものを公開しました。

 私はその「反省と誓い」なるものをみて、02年に発覚したデータねつ造・隠蔽(いんぺい)等の事犯についての「再発防止策」として進めてきたとする「しない風土」、「させない仕組み」に加えて、07年に打ち出した「言い出す仕組み」がどのように機能していたのかの分析なしの「誓い」では、教訓が全く生かされず、役に立たないことを指摘していました。

 今回の検証報告や改善報告でも繰り返す過ちに対して本質的指摘がありません。侵入検知装置についてみれば、16年、福島第2原発で警報が鳴らないように設定していたことが明らかになった際、柏崎刈羽原発での検知装置の扱いが点検されたのか、警備担当者からの申告は全くなかったのか、不問に付されたままです。これでは、今回の「改善措置」が当該事犯への対策にとどまり、東電の体質改善には到底至らないと言わざるを得ません。

 会長・社長は会見で「最後の機会」「不退転の覚悟」と表明しました。しかし、これらの言葉は県民・国民の心に響きません。核防護の重要性の認識が低かったのは、なにより経営陣の認識の低さをこそ、問い詰めるべきです。

 あたかも原子力部門の職員に責を押しつけるやり方は、最前線の職員のやる気をそぎます。もちろん、職員の中には、割り振られた職務を遂行していれば良いとする風潮、何を言っても変わらない、と思う風潮もあるでしょう。しかし、こうした風土は誰が醸成するのか。組織において上を守る、という日本の責任と倫理のありようが問われます。

福島への対応は

 なお、会見では、「風通し」をよくするために、原子力・立地本部を新潟に移転するという案が出されました。しかし、この原子力部門の移転を聞いたとき、私が、第一に懸念したのは、「福島はどうするのか」です。今日の東電の第一義的任務は、福島第1原発事故の収束と廃炉作業、福島県民・国民への最後までの賠償です。柏崎刈羽原発との風通しをよくするために、原子力部門を新潟に移転するとするなら、福島への対応をどうするのか、当然、明示しなければなりません。

 規制委は今後、改善の進捗(しんちょく)状態を点検し、東電が自律的な改善が見込める状態になったと判断すれば、「核燃料の移動を禁じた」行政処分を取り消し、柏崎刈羽原発の再稼働への道を残しています。この動きを押しとどめ、原発の危険から命と暮らしを守るのは、安全・安心を求める声をさらに集めることでしょう。

(「しんぶん赤旗」2021年9月28日より転載)