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見えにくい原発事故「なかったことにさせない」・・宇都宮大学国際学部准教授 清水奈名子さん

市民が自ら土壌を調査・測定し作製した放射能測定マップ

被災を記録・可視化 証言集は被害・生活・心を伝える

 東京電力福島第1原発事故から10年。見えない放射線による被害は、いっそう見えにくくさせられています。国は被災者救済の縮小・打ち切りに動き原発再稼働を進めています。「原発事故をなかったことにさせない」と被災の記録、可視化をすすめ、情報を発信する宇都宮大学国際学部准教授の清水奈名子さんに聞きました。(徳永慎二)

 東京電力福島第1原発の事故が起きたとき、私は35歳でした。

 ショックだったのは、事故を起こした原発が、40年前に設置されたということでした。私が生まれる前の世代のおとなたちが決めた原発政策が破綻して、私たちの世代が甚大な被害を受けているという事実です。

 とはいっても有権者となってから15年が経過していました。すでに私は教壇に立っていまして、余震が続く不安な空気のなかで目の前の学生たちに、いつも通りの授業をするわけにはいかないと思いました。

現状を改善して次世代につなぐ

 この時代に生きるおとなの責任として、事故を直視し、なぜ起きたのか、どんな被害があるのかを明らかにして、1ミリでもいいから、現状を改善して次の世代に引き継がなくてはと考えました。

 「教養科目」として、他学部の教員とともに原発事故を考える授業を毎年開講し、避難被災された方々の「証言集」を教材にした授業も取り入れています。

 私は、国連の安全保障制度や戦争と平和について研究してきました。国家がすすめた戦争により、国家的危機に直面した時に、国は国民の生命・財産を守るのではなく、逆に犠牲を強いるという歴史的事実があります。国内の被害だけみても、戦争終結の判断を誤り、沖縄戦や広島・長崎の原爆投下などで多くの命が失われ、犠牲となりました。

 そうした研究を通して見えてきたのが、戦争と同様に、原発事故でも市民が優先的に保護されない構図です。事故直後、避難するための正確な情報が迅速に住民に伝えられず、人々は汚染地域に避難するということがありました。その後も、放射線量が高い地域すべてに避難指示が出されず、自己責任で避難か残留かを求められました。事故直後もその後も、人々の安全や生命・財産、そして健康は十分に尊重されず、切り捨てられたと感じている被災者がいます。

 私が暮らす栃木県も含めて被害は広域に及びますが、現在も国は被害を過小評価し、必要な救済、補償をしていません。原発事故の被害は福島県だけであり、まるで原発事故は終わったかのようにされています。

人間らしい生活奪われた苦しみ

 物理的な破壊をともなう地震や津波と違って、原子力災害は、放射線が見えないために可視化が難しいのです。

 国が広範囲のきめ細かい測定を実施しないために、各地で市民自ら食品や土壌を測定し、可視化する取り組みが広がりました。しかし、汚染状況を地図にして公表すると、「風評被害を受ける」、「復興の足を引っ張る」などの批判があがり、「差別を受けるのでは」と心配する声を聞きます。放射線被害は、語れない、語りたくないものになっています。

 見えにくい、語りにくいことは忘れられてしまう可能性が高い。それだけに避難者や被災住民の証言を記録することは大事なことだと思います。「記録がないから、そのような被害はなかった」ことにされる恐れがあるからです。

 記録するとは、被害の証明に加えて、そこに住んでいた人々の生活や心の被害を記述して残すことです。

 私は2014年から、福島県から栃木県に避難してきた方々の聞き取りをすすめました。かならず、事故前の生活がどうだったかを聞くようにしました。『証言集』は、すぐ近くに山があり、ささやかな人間らしい生活と地域社会が奪われていった苦しみの記録です。

 すでに事故から10年。原発事故の影響は、数十年、数百年単位で続くことを考えると、人々の記憶が薄れないうちに記録し、次の世代に伝える責任が私たちにはあると思っています。

(「しんぶん赤旗」2021年8月23日より転載)