ふるさとは代替え不可能
浪江町津島訴訟原告団長の今野秀則さん(74)は「時間がかかっても独善に走らないように心がけた」と、原告団をまとめてきた気持ちを語ります。
集落の行政区長
元福島県職員の今野さんは、下津島集落の行政区長を務めていました。東日本大震災発生翌日には、海側の浪江町中心部に避難指示が出されました。山側の津島地区には多くの避難者が押し寄せて来ました。今野さんは避難者の世話に忙しくしながら、3月15日、東京電力福島第1原発事故で津島地区にも避難指示が出されると、集落で逃げ遅れた人がいないかどうかを確認するため、その夜は集落に居残りました。
事故当初は年15回の立ち入りが許可されました。最近は年30回まで許されるようになりました。「立ち入りするたびに、ぼうぜん自失するしかない惨状でした。田畑は柳などの雑木が生い茂る林・森に変貌してしまいました」
今野さんは石川啄木の詩が好きです。
望郷の思いに胸が揺さぶられるのです。「ふるさとは代替え不可能な場所。時間の経過とともにふるさとへの痛切な思いがこみ上げてきます。帰りたい強い気持ちが募り、ふるさとにつながる話題や物事に接するたびに、胸をかきむしられるほどの苦痛を抱きます」
津島地区内の放射線量は、現在も高い状況が続いています。
「除染せずにこのまま放置されれば、私たちは廃村・棄民を強いられ、ふるさとを失いかねません」
「公正な判断を」
提訴後亡くなった原告団員は50人を超えます。3年ほど前に地区の区長会が調査した時点で130人を超える地域住民が亡くなっているので、現在はさらに多数に上るといいます。
提訴から6年、大震災からも10年が過ぎました。長い時間の経過を思うと「ようやくここまで来た」といいます。
「本当は裁判などやりたくないです。加害者である国や東電が、きちんと被害者に寄り添ってくれれば良かったが、この10年無為の時間を押しつけられました。加害者が被害者に真摯(しんし)に対応してくれていればもっと早く解決していたと思います。原発事故の被害に苦しんでいる者がいることを忘れないでほしい」
司法は地域住民の痛み・苦しみを救済する最後の砦(とりで)と考える今野さん。津島訴訟の判決は30日です。
「私たち原告の慟哭(どうこく)の声を胸に刻んで公正な判断を下してほしい」(おわり)
(「しんぶん赤旗」2021年7月27日より転載)