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福島に生きる 石井絹江さん(69) 津島訴訟判決を前に(中)

豊かな自然 汚され怒り

 浪江町津島訴訟原告の石井絹江さん(69)は、自然豊かな山や川が放射能で汚されたことに怒りを覚えています。

 山の幸、川の幸が豊富な津島。そのふるさとに10年以上たっても帰れない現実に悔しい思いでいます。

 石井さんは、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の翌年2012年3月、定年退職を迎えました。42年間浪江町職員として働いてきました。

 「3・11」のときは、津島地区唯一の医療機関である「津島診療所」の係長でした。通常は1日40人ほどの受診者でした。その日は、着の身着のままで避難した町の人たちが押し寄せてきました。普段服用している薬を求めて診療所に殺到してきました。いつもの10倍近い患者でした。

 石井さんは、臨時の受診窓口を設営するために、数百メートル先にある役場の津島支所から机やイスを運んできました。薬剤が底をつきました。近隣市町村に連絡をとり、運搬を頼める人を探して、受け取りに駆け回りました。

全町避難となり

 浪江町は間もなくして全町避難となりました。津島診療所は、二本松市東和地区、安達太良山の麓にある岳温泉、安達運動場と転々と移転しなければなりませんでした。

 町の産業振興課にいたころには、山菜やキノコの加工製品の開発に力を入れました。周囲を山に囲まれた津島地区は「宝の山」。それが放射能で汚染されたことに「衝撃を受けた」といいます。

 国は、森林除染についてあいまいな態度に終始しています。国は里山を中心とした除染を行う考えを示していますが、「果たしてどこまで踏み込んでいくのか?」。山林が8割を超える津島地区で森林除染をしないことは、地域住民に「戻るな」と言うに等しいことなのです。

責任はっきりと

 夫は30頭以上の乳牛を飼う酪農家。「乳牛の胎児は人間が胎内から引っ張り出してあげる手助けが必要です。産婆役は私の仕事でした」と石井さん。

 夫は、2011年5月末まで避難せず牛の世話をしてきました。線量が高く、乳をしぼっても出荷できません。最後は、牛を殺処分にせざるを得ませんでした。「かわいい牛たちの悲しそうな目。切なくて耐え難い思いでいっぱいでした」

 石井さんは福島市に避難。そこでえごまなどをEM農法で栽培しています。EM農法は、化学肥料や消毒を一切使わずに栽培するもので添加物が気になる人にも安心です。

 「国と東電は、人の命と山の幸、川の幸の宝物を台無しにしました。利益優先で、原発事故を避けるための対策をしていませんでした。裁判は、その責任をはっきりさせるたたかいです」

 (つづく)

(「しんぶん赤旗」2021年7月25日より転載)