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福島に生きる 生業訴訟第2陣原告 高橋敏明さん(67) 「農業継げない」と息子

 福島県伊達市月舘町の高橋敏明さん(67)は「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(中島孝・原告団長)の第2陣原告です。

 高橋さんは、兼業農家です。「妻が主に農業を行い、私は会社員をしながら休日に農業の手伝いをしていました」

 中学卒業後、就職し実家を出ました。兄が亡くなり、実家を継ぐために月舘町に戻りました。

 2014年11月、東京電力福島第1原発事故の被害について、月舘町の一部と川俣町の小島田代地区の住民193人で集団ADR(裁判外紛争解決手続き)の申し立てをしました。17年10月にようやく一定の賠償を認める和解の方針が示されました。

 しかし、東京電力は、和解勧告を拒否し続け、19年9月、手続き打ち切りとなりました。そのために「裁判で決着をつけよう」と生業訴訟原告団に加わりました。

■家中の窓目張り

 高橋さんが住む月舘町は、計画的避難区域に指定され、全村避難となった飯舘村や一部避難区域になった川俣町と境を接しています。放射線量の高い地域です。

 当時27歳の長女は不安で家中の窓のサッシに目張りをし、換気扇まで目張りをしようとしました。マスクを大量に買い、室内でもマスクを着用。家の中に閉じこもってしまいました。

 高橋家は400年以上前から、月舘町で農業を営み、おいしい水や風土を利用して、コメや野菜を作ってきました。直売所でも「新鮮でおいしい」と評判で、売れ行きも好調でした。

 11年秋には長男が実家に戻り、一緒に農業をする予定でした。田を直し、木を伐採し、水路を作り、倉庫を直し、費用をかけて準備を進めていました。

 長男からは「セシウム(放射性物質)の入ったものを売ることはできない。一緒に農業はできない」と告げられました。原発事故はすべてを台無しにしました。

 12年度は作付け制限の対象地域になったために作付けができなくなりました。

 「福島県産」と産地名が付いているだけでコメの単価が下がりました。作付けができなかった間に、田んぼは荒れ、大量に発生したイノシシが田のいたるところを掘り起こし、穴だらけにしました。田に水を入れても漏れてしまい、水田になりませんでした。

 「結局はコメ作りをやめることにした。長男が実家に戻らないということが大きかった」

■国の線引き不当

 月舘町は、春には山菜、秋にはキノコ、自然の恵みが豊かなことが魅力でしたが、事故後は安心して楽しむこともできなくなりました。

 「放射能に何の遮蔽(しゃへい)物もないのに、道一本隔てただけで被害と賠償の線引きがされた。国と東電はきちんと責任を取ってほしい。差別なく、被害実態に応じた賠償と明確な放射能対策を取ってほしい」

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年7月17日より転載)