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原発事故 変わるふるさと記録・・福島・浪江町出身の歌人 三原由起子さん

北校舎はほとんど解体され、南校舎の解体がすすむ工事現場=6月12日、福島県浪江町

学校解体に胸痛め

 東京電力福島第1原発事故の被災地、福島県浪江町では、地域の文化の中心であり、明治以来の歴史をもつ五つの小中学校の解体工事がすすんでいます。高校時代から原発事故後を含む17年間の短歌集『ふるさとは赤』(2013年)の新装版を出した、歌人の三原由起子さん(42)=東京都世田谷区=に聞きました。(徳永慎二)

 7月12日、母校の浪江小学校の解体工事現場に行ってきました。いつどうなるかわからない世の中です。日々変わっていく故郷を、見られるうちに見ておこうと思って、毎月通っています。

 というのも昨年、100年近く続いた実家のお店が壊されるのを、見届けることができず、すごく後悔したからです。

 母校は、爆撃を受けたようでした。私の中に当たり前に存在していたものが変わり果て、心臓をえぐられるようでした。

 前日あったものが翌日にはもうない、という変化を記録していく必要を感じています。それも形あるものだけでなく、うそのない、自分の心が感じたことを記録していきたい。記憶を風化させない、美化させないことが大切だと思っています。

 新装版の『ふるさとは赤』の短歌を改めて読んで、あのときの感情を思いださせてくれた、ことばを残してくれてありがとうと、涙声で電話してきた友人もいました。

三原さん

なかったこと?

 よかれと思ってのことでしょうが、ある人から「町がきれいになったね」といわれたことがありました。すごく違和感を覚えました。震災前、そこには街があり、建物があり、生きて生活している人間がいたんです。

 以前、「復興と名がつけば、いくらでも予算がつく」と聞きました。「復興」といえば、何でもありの風潮におそろしささえ感じます。原発事故はいまも続いているのに、「復興」の名で、10年たった、もう終わったことにしよう、なかったことにしよう、という無言の圧力を感じます。

 復興は「なかったこと」の連続で拠(よ)り所なきふるさととなる

 原発事故で家も故郷も奪われ、今なお、苦しい生活や精神状態を余儀なくされている被災者は一体どうなるんでしょう。国は今を生きている人にもっと配慮すべきです。

想像力の大切さ

 2011年の震災当時、東京・原宿のビルの職場にいました。避難した場所で、故郷の浪江が震度6強を示す赤印が目に飛び込んできました。

 iPad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤

 とぎれとぎれに携帯で連絡を取り、父に「原発が危ないから逃げて」と伝えました。翌3月12日、東電の第1原発から10キロ圏内のわが家にも避難指示が出ました。この日が曽祖父母の代から続く家業の廃業の日となりました。

 3年後の14年、浪江を訪れました。実家はネズミによる被害で惨たんたるものでした。それでも自然の美しさや生命力には圧倒されました。

 ひるがえる悲しみはあり三年の海、空、山なみ、ふるさとは 青

 山なみの青、海の青、空の青、何もなかったように親しい

 帰る人、帰らない人、帰れない人を抱きてわが浪江町は在る

 実家のお店が解体されたのは、昨年5月。その後、五つの浪江町立小中学校解体のことを知りました。お別れ会を開きたいと、卒業生ら5人で解体延期の請願署名をよびかけました。短期間に約4000筆が集まりましたが、昨年暮れの町議会は、請願を否決し、解体工事が進んでいます。

 ふるさとに否決されしか学び舎(や)の解体延期の小さな願い

 特に「想像力の大切さ」を思います。この力を働かせ、見えないものを見ていくことが大事だと思います。また、感情的にしか見なかったものを、歴史的視点で見て、考えたいと思っています。

 なかったことにさせないために頭を巡らす日々です。

(「しんぶん赤旗」2021年7月17日より転載)