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福島に生きる 生業訴訟第2陣原告 太田久美子さん(47) 海の幸・山の幸 今は

 福島県相馬市でガソリンスタンドを営む太田久美子さん(47)は今年3月、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(中島孝原告団長)の第2陣原告に加わりました。同訴訟の第1陣原告でもある母親の仁子さん(73)の勧めがあったからです。

■娘の発表会の日

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故のあったとき、久美子さんには小学校6年生のひとり娘がいました。小学校の発表会がある日で、大地震が起きた時は発表会が始まる前でした。校舎の2階で動けずしゃがみこみ、窓から見えた体育館が校舎以上に揺れていたように感じました。

 久美子さんは、福祉センター前にある実家に避難しました。「福祉センターは、入りきれないほどの避難者がいて、ロビーまでいっぱいになっていたのを覚えています。皆さん寒そうでした」

 久美子さんの母親・仁子さんは孫娘を連れて仙台市にいる仁子さんの妹のところに避難しました。孫娘は現在大学生になっています。

 相馬市は、東京電力福島第1原発から40キロほどのところにあります。大震災の津波で大きな被害が出ました。原発事故の避難区域ではありませんでしたが、南相馬市や浪江町の沿岸部の人たちが避難してきました。

 相馬市の放射線量は高く、市内まで配送しない企業が出ました。スーパーやコンビニなどでは品不足が続きました。物流が滞り、燃料不足も。

■ガソリン求め列

 家業のガソリンスタンドは大混乱となりました。ガソリンを求める人が押し寄せて来て長蛇の列ができたのです。

 「何もかも必死でした。あの日は寒い日でした。混乱を極めました。近所の方たちが、『何かできることがあったら手伝います』と言ってくれて、差し入れをしてくれる人もいました」

 相馬市は「相馬野馬追」が有名です。騎馬武者たちの勇猛果敢な姿が見られる祭り。1000年以上の歴史があります。大震災と原発事故で継続が危ぶまれましたが、議論を尽くし、規模を縮小して途絶えることなく開催されました。

 相馬市の主要産業は農業、漁業、観光でしたが、大震災後、主産業の漁業は壊滅的打撃を受けました。黒潮と親潮が交差する海域で、カレイやヒラメなどが集まる好漁場。年間を通じて魚種や漁獲量が豊富で取れた魚は「常磐もの」とよばれて珍重されてきました。

 国と東電は4月、トリチウムを含む福島第1原発の汚染水の処分について海水で薄めて放出することを決めました。

 「漁師たちは反対しています。東京電力はすべてのことを市民に明らかにしていません。信用できない。説明が不十分です」

 「相馬の豊かな海の幸、山の幸。今はお裾分けすることもできなくなりました」と悲しむ久美子さんです。「すべては原発事故のせい。ちょっとでも原発ゼロの活動に携われれば」。生業訴訟第2陣の原告に加わった思いです。(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年5月22日より転載)