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「原発建設反対」 たたかい半世紀

著書を持つ松谷さん(右端)と判事当時を語った(左へ)斉藤美知代さん、斉藤直也さん

 東京電力福島第1原発事故から10年。国策として福島県浜通り地方で進められた原発建設計画に、半世紀前から反対してきた人たちがいます。そのたたかいの記録をまとめた元高校教師(福島市在住)は原発ゼロの日本を必ず実現したいと発信しています。

 (福島県・野崎勇雄)

福島の元教師ら記録出版

 「事故直後に全国の退職教職員から支援を受け、それに応える記録集をと考えたのが本を出すきっかけ」と話す著者の松谷彰夫さん(73)。半世紀にわたって原発の住民運動などを担ってきた原発問題福島県連絡会の早川篤雄代表(宝鏡寺住職)、福島第2原発訴訟の原告弁護団長を務めた安田純治さんら関係者に会い、東電や自治体などの膨大な資料を読み込みました。

 書名は『裁かれなかった原発神話―福島第二原発訴訟の記録』(かもがわ出版)。松谷さんは「これだけの裁判があったことを知っている人は、福島県内でも少なくなった。この事実を多くの人に知ってほしい」と力を込めます。

 原発設置の動きが秘密裏に進められただけでなく、過疎から抜け出したいという住民の願いを逆手に取った根回しがあったことは、東電や自治体の資料からも明らかです。

 他方で住民の不安や反対の声が上がり、農漁民を含む原告403人が1975年1月、福島第2原発設置許可処分取り消しを求めて提訴。最高裁まで17年9カ月余、92年10月に原告不在の上告棄却という不当な判決でしたが、裁判の経過や論点は鮮明でした。

 原告に加わった斎藤直也さん(78)=伊達市=は、72年の地元組織結成に続き翌年できた「原発・火発反対県連絡会」の事務局員として活動。「福島第1原発が稼働し始め、悲惨な労働実態も聞こえてくる時期で、意義は大きかった。東電などがだますようにして原発を設置したことに怒りが湧いた」と話します。

 初任地の、いわき市で「小名浜公害」や火力発電問題に直面、原発の危険性を知った斉藤美知代さん(74)=桑折(こおり)町=は言います。

 「敗訴後も原発の危険性を訴えてきたが、事故が起こってしまった。でもいまは再稼働反対が過半数。事故を終わったことにしようという流れを許さず、原発ゼロへ私も力を尽くします」

(「しんぶん赤旗」2021年3月14日より転載)