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福島第1事故10年 原発 遠い廃炉・・“安全神話”の後始末続く

 ちょうど10年前の2011年3月11日、東京電力福島第1原発は地震・津波に襲われました。3基の原子炉が同時に炉心溶融(メルトダウン)する重大事故を起こし、環境中に大量の放射性物質をまき散らしました。それから10年。いまだ事故は収束せず、20~30年後に完了するはずの廃炉の道筋もみえません。巨大津波の襲来を警告する声に耳を貸さず「安全神話」にどっぷり漬かった無謀な原発推進政策が引き起こした、史上最悪レベルの原子力事故の後始末の現状は―。(中村秀生)

 事故現場の状況を上空から本紙チャーター機で取材し、地上では原発構内を歩いて生々しい事故の爪痕を間近に見ました。

 福島県いわき市沖を北上するころまで穏やかだった上空の気流は原発に接近すると突然乱れました。激しく揺れる飛行機から1~4号機の異様な姿が見えてきました。

 事故前、ライトブルーの模様の建屋が整然と並んでいた4基。現在、それぞれ事故の経過の違いを象徴するように、まったく異なる様相を呈しています。

 地震・津波の翌日に水素爆発を起こした1号機。いまも原子炉建屋の上部は、爆発の衝撃でグニャリと曲がった鉄骨がむきだしになり、がれきも残っています。最近の調査で、原子炉格納容器の上に敷いたコンクリート板(シールドプラグ)に予想を超える大量の放射性セシウムが付着していることが判明。廃炉作業に暗雲をもたらしています。

地震で損傷拡大

 その隣の2号機は、水素爆発が起こらず、かろうじて事故前の面影を残しています。しかし建屋内部は汚染され、事故前は型どおりの作業だった使用済み核燃料プールからの燃料取り出しさえ着手できていません。

 3号機は、水素爆発で屋根が吹き飛んだ建屋上部に、かまぼこ形のドームが見えます。プール燃料の取り出しは、重量400キロの機器の落下事故などトラブル多発で難航。ようやく先月、炉心溶融した1~3号機で初めて全燃料566体の取り出しが完了しました。

 北側から見た建屋はまるで廃虚です。壁には津波の漂流物にえぐられた多数の傷。事故初期にまかれた放射性物質の飛散防止剤の緑色が異様さを際立たせます。地上で近くに寄ると、線量計の値が毎時227マイクロシーベルトに跳ね上がりました。

 1、3号機では、先月13日深夜に起こった福島県沖の地震後、格納容器内の水位が低下。地震で損傷が拡大した可能性が濃厚です。

 10年前は定期検査中で、炉心溶融を免れた4号機。今は四角いカバーで覆われ、中は見えませんが、3号機から流入した水素が爆発し建屋上部は激しく損壊しました。プール内の全1535体の核燃料が冷却不能になり、一時、プール内の水が蒸発し核燃料がむき出しの状態で溶融する重大事態も危ぶまれ、世界を震撼(しんかん)させました。無事、燃料の取り出しを終えたのは14年のことです。

 1号機の近くにそびえていた高さ120メートルの排気筒も、大きく姿を変えました。多数の破断が見つかり、倒壊による放射性物質の飛散が早くから懸念されていましたが、昨年ようやく上半分の解体を完了。先月の地震では難を逃れました。

 津波の影響がひどかった海側エリア。海抜11メートルの防潮堤が新たに築かれ、さらにかさ上げする計画です。「震災直後は至る所にがれきがありましたが、この1年でかなり片付きました」と東電の広報担当者。津波で押し流されたクレーン車は撤去できず、傾いた状態でさびついていました。

 1号機の近くでは防護服を着た作業員数人が働いていました。プール燃料取り出しのため大型カバーを設置する準備作業中だといいます。今も構内では1日4000人の作業員が働きます。放射性物質が付着したがれき撤去も進み、敷地の多くは一般作業服で行けるようになりましたが、原子炉建屋や周辺は過酷な放射線環境です。

デブリ抱え老朽

 1~3号機には原子炉から溶け落ちた核燃料デブリが計600~1100トン(推定)。どこにどのような状態で分布しているのか、全容は未解明です。取り出しの工法さえ定まっておらず、東電の担当者も「本丸のデブリはこれから。取り出しの最初の一歩すら踏み出せていません」。

 政府・東電が51年までに完了するとしている「廃炉」が、どんな状態を指すのかさえあいまいです。爆発で損壊した雨ざらしの建屋は、デブリを抱えたまま老朽化しています。

 上空からも地上からも目立つのは、原発構内を埋めつくす1000基を超える汚染水タンク群。事故初期はタンクからの漏えいや汚染地下水の海洋流出が頻発しましたが、15年に海側遮水壁が完成するなど、海洋汚染は抑制されました。

汚染水1日140トン

 しかし汚染水増加の原因である、原子炉建屋への地下水や雨水流入を止めることに成功しておらず、いまだに1日140トンのペースで汚染水は増えているため、高濃度のトリチウム(3重水素)を含む「処理水」がタンクに増え続けています。

 政府は、処理水を薄めて海に流すなど安易な処分に前のめりですが、汚染水問題の根本解決を先送りしたままでは「廃炉」の展望も開けません。

 原発の敷地周辺は、放射線量が高くて人が住めない「帰還困難区域」。そこに「中間貯蔵施設」が整備され、除染で出た汚染土壌を詰めた袋が並んでいました。国道沿いには人が消えたカラオケ店や自動車販売店、民家…。10年前まで人々の生活があった土地が、無機質なもので覆われていきます。

 福島第1原発の10年の現実は、ひとたび原子力事故が起これば多くの犠牲を出し環境や人間社会を破壊し、収束がいかに困難かを示しています。警告を受け止めるのか、再び愚かな原発推進を歩むのか、問われています。

(「しんぶん赤旗」2021年3月11日より転載)