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東日本大震災・原発事故10年 運動の火 絶やさぬ・・原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員 伊東達也さん(79)

原発の危険訴え 電力企業・国家に立ち向かった半世紀

 東京電力福島第1原発事故から10年。原発の建設当初からその危険性を訴えて来た人たちがいます。原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さん(79)もその一人です。「この10年間だけで考えるのではなく、原発建設がはじまった1970年前後の時期から考えるべきです。当時から『日本の原発は大丈夫なのか』と警鐘が鳴らされてきた」と言います。

朽ちた街

 「大丈夫」でなかったことは2011年3月11日の原発事故ではっきりしました。

 「避難指示の出た区域は、自然が破壊され、家は朽ち、街並みは見る影もなくなりました」と伊東さん。

 「県民の生業(なりわい)の基盤となっていた農業、漁業、観光業は打撃から事故前の水準に回復できずにいます。特に沿岸漁業の水揚げ量は事故前の15%でしかありません。それなのに国と東電は福島第1原発で発生したトリチウム汚染水の海洋投棄を強行しようとしています」と指摘します。

 「国と東電が世界の英知を結集して抜本的対策に取り組まず、その時、その時の場あたり的対策が招いた結果だ」と批判します。

 「死に物狂いで駆け抜けた10年」だったと言う伊東さん。「この間300回は全国を回って福島の現状を伝えてきた。三十数県は歩いた」と語ります。

 今、「3・11」に向けて二つの事業に取り組んでいます。

 一つは原発悔恨・伝言の碑建立と、二つは東京上野の森にある「広島・長崎の火」を福島県楢葉町の宝鏡寺に移設することです。

 宝鏡寺に建てる「伝言の碑」の碑文には、こう記されています。

 電力企業と国家の傲岸(ごうがん)に立ち向かって40年

 原発は本性を剥(む)き出しふるさとの過去・現在・未来を奪った

 「広島・長崎の火」は、核廃絶を願って30年間、上野東照宮(東京都台東区)境内にともされてきましたが、「非核の火」と名付けられ福島で燃え続けます。

放射線量が高く、帰還困難区域に指定されている区域への通行止めの看板=6日、福島県葛尾村

響き合う

 「日本では、原発を推進し、核兵器廃絶に反対する勢力が、9条改憲推進勢力と重なっています。『原発をなくせ!』『核兵器を廃絶しよう』『9条改憲やめよ』の運動は、相互に響き合うトライアングルの関係です」。

 10年のたたかいを振り返って、伊東さんは決意します。

 「原発ゼロの運動は大きな力を発揮しました。廃炉は最低でも100年はかかるでしょう。国の福島県民への支援は、10年、20年で終わりにしてはなりません。どんなに長くかかろうとも福島県民は求めていきます」(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年3月10日より転載)