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原発事故・帰還困難区域 “放牧場”に春風・・福島・大熊町 被災牛を生かし環境を保全

谷さんと、もーもーガーデンのカール

「もーもーガーデン」

 2011年3月、東京電力福島第1原発事故によって全町に避難指示が出された福島県大熊町。人がいなくなり、荒れ放題になった土地にできた「もーもーガーデン」は、すっきりした草地に。そのわけは…。(都光子)

 昨年全面復旧したJR常磐線の大野駅から車で5分ほどのところにある「もーもーガーデン」。今も帰還困難区域内にあたるため、あらかじめ役場で立ち入り許可をもらわなければなりません。

 「線量を測っていますが、空間が0・3とか0・2(マイクロシーベルト)、草や木が10ベクレル以下まで下がってきました。事故直後の風向きによって、そこまで値は高くないんです」

 こう話すのは、もーもーガーデンを運営する一般社団法人ふるさとと心を守る友の会代表、谷さつきさん(38)です。

 この牧場にいるのは10年前に被災した牛3頭を含め全部で11頭。別名「草刈り隊イレブン」です。

 「牛たちは耕作放棄地などに生えている数メートルの雑草と、15メートルにもなる木をなぎ倒してその上の葉を食べます。枝を折ったり、ひづめで踏んだりして細かくなり、土にかえっていきます。牛糞(ふん)もあるため栄養状態の良い農地にしてくれます。牛も満足だし、いいことづくめでしょ」

取り残された牛 農家の苦悩知り

 原発事故当時、谷さんは東京で働いていました。取り残され、水もえさもなく次々に餓死しているというニュースに衝撃を受けました。畜産農家への支援とともに、牛を救う手立てを模索してきました。「被ばくしたからではなく、避難した農家さんたちが、取り残された牛たちにえさも水も与えることができなかったから殺処分するしかなかったんです」

 仮設住宅を回って農家とつながり、支援情報や、支援したい人と農家をつなげてきました。現地に何度となく足を運び、13年には福島に移り住みました。

 「飢えと渇きで苦しむ牛たちを救いたい」と、農家とともに行政と交渉し、畜産ではなく「放牧」という名目でスタートしたのは13年。大熊町の電気もガスも水もない土地で、取り残された牛たちの牧場をつくりはじめました。

 「牛は柵をつくればその中にきちんと住んでくれます。大きな丸太ではなく簡単な電気柵で十分でした」。水は裏の山から沢水をひいてきました。「いろいろ試しましたが、結局家庭用ホースでも十分でした」

 農業経験ゼロ。「高齢化した農家さんも多い中、少ない人数で放牧ができる実績は強みになる」と多方面にわたって調べ、アイデアを駆使し、試行錯誤しながら追求するのが谷さん流です。

カメラを設置し声かけもできる

 放射能汚染は、徹底的に測ることで正しく把握することに努めました。草、木、沢の水、土…。「牛の糞尿まで測りました。汚染された草を食べて糞を出すなかで、土は汚染度が軽減される。つまり糞が土壌を汚染することはないんです」

 また、カメラを設置し、IOT(「モノ」のインターネット)技術を導入しました。「遠くにいても牛たちの様子がわかり、声をかけることもできるんですよ」。課題だった家畜の防災が見えてきた、といいます。

 「原発事故による避難指示で世話をする人がいなくても、水とえさが供給できれば、牛たちが苦しまなくてすみます。ソーラー電気で監視カメラやIOTを使えば、災害時に役立つはず」。二度と犠牲を出さないために、11日には(福島の)家畜(農家の声)と防災というテーマで(オンラインで)発信します。さらに防災だけでなく、未来の地球を救うという「牛と人との循環システムの構築」を提案します。

 「牛がいることによって、荒れた土地も栄養たっぷりの農地にしてくれるし、野生の熊やイノシシなどに対しても、人との緩衝地帯になってくれるんです。最小限の人手で農地の整備ができます。未来に緑豊かな地球をてわたすことができると信じています」

(「しんぶん赤旗」2021年3月9日より転載)