廃炉作業 自然エネへの転換 国は責任持って民主的議論を
3月は東京電力福島第1原発事故から10年になります。安斎育郎・立命館大学名誉教授(放射線防護学)は事故直後から、福島県での放射能汚染の調査や相談を続けてきました。2013年から同じような志を持っている科学者や技術者と始めた「福島プロジェクト」は70回を超えました。今の思いを聞きました。
(松沼環)
――福島の今の状況をどうみていますか。
深刻な問題は、事故を起こした原発の後始末の見通しが立っていないことです。政府や東電関係者は40年で何とか廃炉にしたいと述べていますが、技術的な見立てができていません。このことが、再びふるさとに帰ろうという避難した人たちの意欲を大きく妨げています。
もう一つは、事故で放出された放射能によって汚染された帰還困難区域がまだ広く残っています。
除染した場所の放射能は減っていますし、放射性のセシウム134は半減期が2年なので、これも減りつつあります。しかし、セシウム137は10分の1に減るのに100年かかるのでほとんど残っています。だから帰還困難区域は、これから大規模な除染をしない限り、何十年も帰還困難であり続けます。
福島では災害関連死が2千人を超え、岩手、宮城に比べて圧倒的に多い。原発で避難した結果としての避難生活に基づくストレスが原因で死期を早めた人々が多いと考えられます。東電は認めないけれど、放射線の社会的な影響です。
福島の人々が実際に生活している生活圏では、どの程度被ばくするのか。私たちは200人ぐらいの人に線量計を貸して、寝ている時も起きている時もずっとつけてもらって測定しました。京都に暮らす私は1年間に2ミリシーベルトぐらい自然放射線を浴びますが、福島の人は生活のありように応じて年間2・2~4ミリシーベルトぐらいでした。
ヨーロッパでは空気中の天然の放射性物質であるラドンガスの濃度が日本より圧倒的に高く、自然放射線だけで年間5~8ミリシーベルトぐらいです。事故が起こったことは確かですが、福島の人が浴びている線量は極めて深刻なほど高くはありません。
一方で、風評被害は依然としてあります。福島で生産したものは汚染しているに違いないという思い込みがまだあって、福島県産と他県産が並んでいれば福島のものは買わないという傾向が残っている。これは克服していかなくてはいけないと思います。
――活動の中で気づくことは。
家の周りや通学路、保育園の散歩道の放射能を見立ててほしいと要請を受けて調べ、汚染実態からどうすれば被ばくが減るか提案しています。
家の周りの汚染であれば私たちで除染しますが、広域を除染する力量はありません。プロジェクトのなかで私が80歳、平均年齢は70歳を超え、広い地域を除染するには行政に要請するしかない。
特に1回除染した場所を再び除染してもらうのがなかなか大変です。1回除染したにもかかわらず、まだ汚染が残っているホットスポットがあちこちにあるからです。
10年たったからもういいということではなく、行政も引き続き、地域住民の生活をサポートするために予算措置やマンパワーなどを提供してもらいたいと思います。国による予算のサポートが減らされるのではないかと心配しています。
――原発をめぐる日本の現状をどう見ていますか。
大事故が起こったにもかかわらず、国策として原発の位置づけが極めてあいまいです。あいまいな形で原発が再稼働されています。
民間のシンクタンクが、福島第1原発事故に伴う除染と補償と廃炉に最大80兆円ぐらいかかるかもしれないといっています。実際にはもっとかかるでしょう。しかし、そういう実態が国民にあまねく知られていません。
原発事故でいったんは10万人を超える人々が故郷を離れました。家族がバラバラになった人たちもいます。家族で移った人たちも、移った先で生活を組み立て直さなくてはいけない。地域社会に溶け込もうと思っても社会的偏見や風評にさらされ、それは大変な思いをされてきたのです。また、地元に帰ってきても、避難した人と避難しなかった人の間で心が解け合わない事態も起きています。
これは福島だけの問題ではなく、日本の問題だけでもなく、人類史に残る問題です。
――福島第1原発事故の後始末、廃炉作業で大量の廃棄物が発生しています。
福島第1原発では、1日140トン汚染水が発生します。福島第1原発の敷地に1000基ぐらい建つタンクにためていますが、満杯になりそうだと経済産業省の小委員会が海に捨てるといい出し、漁民らが反対しています。
これは、この国の原子力行政の特徴である非民主性を表しています。結論をいきなり押し付けるようなやり方です。
敷地が満杯なら、敷地周辺で土地を確保し、同じ方法で貯蔵しながら、その間にみんなの知恵を集めて民主的な議論の末に合意形成を図ることが不可欠だと思います。
さらに問題なのは、デブリといわれる強烈な放射能をもつ核燃料溶融物を取り出すことができても、それをどこに持っていくのか決まっていないことです。
人類史の上で特徴的なのは、原子力発電というのは世界中でやっているにもかかわらず、ほとんどの国で最終的に廃棄物をどこに持っていくのか決まっていない。「トイレなきマンション」といわれるのはそのためです。きちんと国の責任で民主的に議論しないといけない問題です。
民主性が保たれているかどうかは、48年近く前に提起した原子力行政の点検項目の一つですが、いまだに重要な意味を持っていると思います。
――次のエネルギー基本計画の議論がなされています。
電力を生産する方法は、火力、水力、太陽光などいっぱいあります。風力とか太陽光発電など、太陽の豊かな自然エネルギーを効率的に使うのが、この国のエネルギー政策の中心に置かれるべきです。送電線の利用のルールを含めて、新しいエネルギー政策に見合った政策を積極的に打ち出す必要があります。
野党が国会に提出している「原発ゼロ基本法案」が政権与党の都合で、国会で議論されない現状が続いていますが、自然エネルギーに転換していく議論をしなくてはいけないと思います。
あんざい・いくろう 1940年生まれ。東京大学工学部原子力工学科卒。立命館大学名誉教授。立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長。放射線防護学、工学博士。久保医療文化賞受賞、ベトナム政府から文化情報事業功労者記章受章、ノグンリ平和賞(韓国)を受賞。安斎科学・平和事務所長。著書に『安斎育郎先生の原発・放射能教室』ほか。
(「しんぶん赤旗」2021年2月28日より転載)