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福島に生きる 千葉原発被害者集団訴訟原告 瀬尾誠さん(68) 田舎暮らしの夢返せ

 千葉県鎌ケ谷市の瀬尾誠さん(68)は、国と東京電力を相手取り「元の生活を返せ!」「故郷に帰してほしい」と、損害賠償を求めて裁判をおこしている福島原発千葉訴訟の原告です。

 生協職員を早期退職した誠さんが、妻の美和子さん(68)の父親が耕していた福島県浪江町の田んぼで教えてもらい、単身、農業を始めたのは2010年のこと。新規就農補助事業を活用して、米、ソバ、大豆、野菜作りなどスローライフを楽しんでいました。

■「農業が身近に」

 「農業が身近にある生活がしたかった」という瀬尾さん。米や大豆の作り方を教わり、「ゆくゆくは家族そろって福島で暮らすこと」をめざしていました。里山の環境保護・応援活動にも携わりました。

 阿武隈山系の山並み、高瀬川の流れ、豊かな海。望んでいた里山や自然。楽しい田舎暮らしの始まりでした。地区集落の野焼き、用水路の土上げなどに参加し、付き合いを深めていました。

 11年の「3・11」。東京電力福島第1原発事故は、浪江町の耕作地に放射能をふりまきました。誠さんは、着のみ着のままで避難しました。耕作地は「帰還困難区域」に指定されました。

 「里山を守る」「農のある田舎暮らし」の夢は、はかなく砕かれました。千葉で働いていた美和子さんの定年退職を待って一緒に郷里で暮らすことも、美和子さんの実家の家族と、自然を共有して暮らすこともできなくなりました。

 誠さんは、広島県に生まれました。おばが被爆者です。千葉大学で社会科学を学び、学生セツルメント活動に参加し、子どもの貧困や勉強の遅れに向き合い、地域の生活改善に役立つように活動してきました。

■第二の人生奪い

 自治体問題研究に従事。生活協同組合で、地域担当や営業を担いました。生協退職後に、浪江町で第二の人生を歩み始めたばかりでした。

 たくさんの困難にもめげず13年3月、千葉地裁に提訴した千葉原発被害者集団訴訟の原告団に加わりました。

 17年9月、千葉地裁は、原告らの訴えを棄却しました。原告団は東京高裁に控訴し、19日、判決を迎えます。

 瀬尾さんの第二の人生を奪った原発事故。

 「東京電力と国は、福島をこのようにしてしまった責任を認め、良心に恥じない責任を取るべきです」(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年2月19日より転載)