東京電力福島第1原発事故をめぐり、東電と国の責任を追及する「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟で、仙台高裁は国と東電の責任を認め、総額約10億1000万円の損害賠償の支払いを命じました。国を被告に含む同様の訴訟で初めての控訴審判決です。高裁レベルで、国の責任を明確に認めた判決を勝ち取ったことは極めて重要です。国は判決を真剣に受け止め、被害救済に責任を果たすとともに、原発に固執する政策を根本から改めるべきです。
「役割果たさず」と批判
福島訴訟は、福島県と隣接県(宮城、茨城、栃木)で原発被害にあった住民約3600人が提訴したものです。全国で約30ある生業訴訟の中で、最多の原告です。
仙台高裁は、津波の襲来を予見できたのに、対策を講じなかった国の責任を断罪しました。判決が重視したのは、政府の地震調査研究推進本部が2002年に公表した地震予測の「長期評価」です。長期評価に基づき速やかに試算していれば、02年末ごろには原発の敷地を超える津波の到来を予見できたと述べ、対策を怠った東電と国の姿勢を批判しました。
長期評価に信頼性がないと国が反論していることについて、判決は「(長期評価は)個々の学者や民間団体の一見解とはその意義において格段に異なる重要な見解」であり「相当程度に客観的かつ合理的根拠を有する科学的知見であったことは動かしがたい」と強調し、国の主張を退けました。
判決は国への厳しい指摘が続きます。「(長期評価に関する)不誠実ともいえる東電の報告を唯々諾々と受け入れており、規制当局に期待される役割を果たさなかった」「(長期評価に基づき試算すれば)喫緊の対策を講じなければならなくなると認識しながら、そうなった場合の影響―主として東電の経済的負担―の大きさを恐れる余り、試算や試算結果が公になることを避けようとしていた」。原発という国策を推進しながら、「安全神話」に凝り固まり責任を放棄した国の不作為が未曽有の事故を招いたことは明白です。「人災」という他ありません。
仙台高裁で注目されるのは、国の賠償責任の範囲を福島地裁の一審判決(17年10月)よりも拡大したことです。一審は、国の立場は「二次的・補完的」として国の賠償範囲を東電の「2分の1」に限定しましたが、仙台高裁は国と東電の責任は同等と判断しました。一審で事実上否定された「ふるさと喪失」の損害も認めました。
賠償額が一審の約2倍に上積みされたことは、国が賠償基準を定めた「中間指針」が被害の実態に見合っていないことを浮き彫りにしています。国と東電は、賠償のあり方を見直し、被害者の切実な訴えにこたえる必要があります。
判決に従って被害救済を
原発事故から9年半たっても県内外に多くの人が避難したままで、深刻な事態は続いています。福島生業訴訟の原告は提訴後に約90人が亡くなりました。生活と仕事、ふるさとを奪われた人たちをいつまで苦しめるのか。国と東電は裁判を引き延ばしてはなりません。上告を断念し、被害救済と原状回復に責任を果たすべきです。そして二度と原発事故を繰り返さないために、原発頼みの姿勢を転換することが求められます。
(「しんぶん赤旗」2020年10月4日より転載)