日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > 金太郎が電気をつくったら(1) 小山田大和

金太郎が電気をつくったら(1) 小山田大和

ソーラーパネルを前に

私が郵便局を辞めたわけ

 「原発ゼロ・自然エネルギー100%の社会を作る」

 これが私の人生のテーマです。そう格好よく言ってはみているけれど、決して筋金入りのものではありません。農業や林業、環境の分野にその活動を広げてきましたが、昔は全く興味がありませんでした。父は「おまえが農業なんて。変われば変わるなあ」と言います。

 私にとっての人生の転機は、今から9年前に起きた3・11です。震災と原発事故をきっかけに、育ての親ともいうべき鈴木悌介(ていすけ)さん(鈴廣=すずひろ=グループ代表取締役・小田原箱根商工会議所会頭)から誘われた「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」での活動が、私の人生を決定づけました。

 鈴木さんとの出会いは今から20年前、私が学生時代の時です。以来、さまざまな教えを頂いています。命=時間という考えも鈴木さんから影響された考えです。「この1時間早く終わらないかな?」とは「自分の命が早く終わらないかな?」と言っていることだと。衝撃でしたね。

 私は3・11の時、郵便局員・かんぽの営業マンでした。数字も決して悪くなく、仕事も楽しいものでした。しかし、仕事をすればするほど「今だけ、金だけ、自分だけ」病になってしまう。こんな人生で良いのか? そう思っていた時に起きたのが3・11でした。

 

耕作放棄地にミカンの木を植えました

お恥ずかしい話ですが、3・11が起こるまで、原発については何も考えていませんでした。しかし、鈴木さんから「経済界の皆が原発がなければダメ、とは思っていないはず。原発に頼らない現実を経営者としてつくっていきたい」。そう言われて初めて真剣に向き合いました。

 自然エネルギーの実践を自分のできる範囲で作ることができたら、原発は止められる。しかし、理屈では理解できても、日本で原発を止めることはすごく難しいことがわかった。であれば「私の限りある命=時間」はこのためにこそ使うべきではないか? 自然エネルギーの実践を一つ一つ地域でつくりこみ「生きていける=飯が食える」ことを実践できたら、必ず次の世代につながるだろう…。そう思って郵便局を辞めたのです。

 当時7歳の娘がいた中では、それはあり得ない選択肢だったと思います。その意味では、自由奔放な私を妻はよく許してくれていると思います。

 幸い、環境問題・自然エネルギー問題に取り組まなければという時代になってきました。まだまだですが、確かな手ごたえを感じています。そこでこれから、私が神奈川の小田原あしがら地域で、課題とどう向き合いながら自然エネルギーの実践をしているか、をお話しできたらと思います。

 (合同会社小田原かなごてファーム社長)

 (第3月曜掲載)

(「しんぶん赤旗」2020年5月18日より転載)