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原発事故の特別な意味

 ビキニで水爆実験のあった1954年、原発の起点となった原子力研究開発予算が国会を通過した。GHQ(連合国軍総司令部)の原爆報道規制が失効して、日本人が原爆の恐ろしさを知りはじめた頃だが、平和利用の名でウラン235にちなんだ2億3500万円の予算が計上された。

 99年、茨城県東海村のJCO臨界事故で作業員2人が死亡した。放射線で染色体を壊され新しい細胞が作れなくなったのだ。それでも政府は安全神話を捨てなかった。

 共産党の吉井英勝元衆院議員は2006年から、日本の原発が地震や津波で冷却機能を失う可能性があると国会で再三追及した。しかし、安倍首相は「日本の原発でその可能性はない」と対策を講じなかった。11年、東京電力福島第1原発で実際に冷却機能を失い、事故が起きた。

 事故から9年。『詩人会議』4月号の詩、岡田忠昭「声の礎石(いしずえ)」は、自然災害なら人は悲しみから立ち上がり生きていけるが、消えない毒で土地を汚染されると住めなくなる原発事故の特別な意味を問う。

 滝本正雄のエッセー「原発事故による被曝(ひばく)の恐怖と『核のゴミ』」は療養所勤務でレントゲン線を浴びすぎて病んだ体験をもつ詩人の眼で、内部被曝を引き起こす数々の理不尽を告発する。(槐)

(「しんぶん赤旗」2020年4月27日より転載)