東京電力福島第1原発事故で1年強にわたり漁の全面自粛の苦汁をなめた福島県の漁業者は、地道な努力を重ね少しずつ漁獲量を増やしてきました。漁業の視点から原発汚染水問題をどうみるか―。福島県漁業協同組合連合会がつくる協議体に参加し、復興に尽力する林薫平(くんぺい)福島大学准教授(食料資源経済学)に聞きました。
(中村秀生)
2012年に始まった「試験操業」は、どこでどんな魚種をとるか、どんな形で安全性検査をするか、魚屋さんの反応はどうか、といったことを議論しながら、地道に進められてきました。
13年に汚染水の海洋流出問題が出て漁業復興が大きく阻害されました。しかし苦労して対策が進み、15年、やっと海への流出が止まり、タンクも改善されて安全にためられるようになりました。
徐々に試験操業は伸長し、16年ごろ、消費地では、それまで「国産」と表示されていたカレイなどの代表的な魚が「福島産」として売られるようになり、手ごたえも出てきました。放射性物質もほぼ検出されなくなって、ほとんどの魚種が漁獲対象になりました。
17年には6年ぶりに福島の漁港の市場で入札が始まり、港は活気づきました。その時期の“目玉”の魚に高い値がつき、漁師はそれを狙って漁に出る。本来の産地の姿です。
売り場に活気も
消費地での取り組みの一つとして、大手スーパー「イオン」が東京などの店舗で常設コーナー「福島鮮魚便」をつくって対面販売すると、売り場ににぎわいが出てきました。福島県内でも、季節ごとの海産物やその料理をふるまう楽しい催し「おさかなフェスティバル」など、活発な動きが出ています。
実績好調な福島鮮魚便は“フラッグシップ(旗艦)”のような形で他のスーパーにも波及しつつあります。「消費者は福島産を避けるのではないか」と頭から心配する必要はなくなり、消費者の評価をイメージできるようになってきました。
東京・豊洲市場の水産会社との懇談も重ねています。安定した水揚げ量があれば、市場で取り扱えるし販路もできる、ということがわかってきました。
消費者や流通の反応を確かめながら試験操業を続けてきたので、これまで漁師さんたちは漁獲量を抑えながらやってきました。しかし「これなら売れる」という確信がもてれば、港や船など設備的には漁獲量を大幅に増やすことは可能です。
震災前の漁獲量は年間2・5万トンで、直後は完全自粛でゼロに。数百トンから徐々に増やし、ようやく18年に約4000トンになりましたが、まだまだ15%ほど。もっと回復のスピードを上げたいと考える漁師さんは多くいて、水産関係者もそれを期待しています。
今年2月、最後に残されていた魚種の出荷制限が解除され、すべての魚が規制対象でなくなりました。誰もが「試験操業からの次の展開」を口にするようになり、港の雰囲気も変わってきました。大きな一歩です。
「処理水」放出案
しばしば「本格操業も近い」と言われますが、具体的に詰めていくことも多々あり、簡単ではありません。
試験操業は、漁獲活動を自粛している分、漁に出ない日の休業補償、売り上げ減少分の営業補償などがあります。本格操業となると、自粛の枠を取り払い、思う存分に水揚げし自分の腕一本で稼ぐ本来の形に戻すことになります。制限魚種はなくなりましたが、隣接した海域や近隣の市場との調整など課題は山積しています。
福島の漁業は、次のステージへの入り口に立ったばかり。まだ補助輪付きの段階だと言えます。自立自走できるまで回復を進めるには関係団体が協力し合った集中的な取り組みが当面必要です。
そんな大事なときに原発の「処理水」を海に放出する案が強引に進められ、漁業に暗い影を落としています。
(つづく)
(「しんぶん赤旗」2020年3月18日より転載)