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東日本大震災・福島原発事故9年 被災地から(1)・・介護需要急増 福島県(上)

浪江町と全国の介護が必要な人の増加率の推移

長引く避難生活で…

 東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から3月11日で9年。暮らしは、生業(なりわい)は――「被災者の今」を現地から報告します。

 原発周辺自治体では、事故後、介護の必要な人が急増し、高止まりの状況が続いています。背景には、多くの住民が古里を奪われ、長期避難を強いられ続けている状況があります。

 福島県浪江町は3年前に避難指示が部分解除されたものの、いまだ多くの人が戻れずにいます。面積の8割に及ぶ帰還困難区域は、除染もほぼ手付かずの土地が多く残ります。

狭い仮設住宅での長期間の生活で身体が衰え、要介護の高齢者が増えました=福島県相馬市の仮設住宅

事故前の1.7倍に

 厚生労働省の統計によると、町の要介護認定者数は1514人(昨年3月)。原発事故前(10年3月)と比べて1・7倍に増えました。全国平均の1・35倍を大きく上回ります。

 浪江町を離れ、同県二本松市で避難生活を送る男性(54)。認知症の母(80)と妻の母(82)を、隣接する本宮市のグループホームに預けています。男性は「事故が起きるまで2人とも本当に元気でした。畑仕事に励み、体を動かす張り合いがあったからでしょう」と話します。

 事故で生活は一変しました。「仮設住宅に入居し、母たちが体を動かすのは散歩する時だけになりました。近所で仲の良かった人たちもバラバラに」

 ほとんど家でテレビを観て過ごす日々が何年も続く中で、別人のように表情を失い、認知機能が急速に衰えていく2人の姿を目の当たりにしました。

 自宅で介護をしたいと家族で努力を続けたものの、やがて限界が訪れました。やむなくグループホームに預ける選択をしました。

 浪江町での生業を失った男性は、土建業に転職しました。「所得は事故前の半分以下になりました。グループホームの利用料は2人分で月25~26万円になり、私の給料はほぼ消えます」

 いまは何とか家族の収入などで生計が維持できています。本来は負担しなければならない介護保険料とサービス利用料の6~7万円が免除されているからと男性は強調します。

生活楽にならず

 医療・介護保険をめぐっては、原発事故の避難指示区域などに住んでいた人を対象に、保険料、窓口負担の減免措置が国の支援で継続されてきました。しかし安倍内閣は昨年末、減免措置の段階的な縮小・廃止をにらむ「見直し」を盛り込んだ「復興の基本方針」を閣議決定しました。

 男性は、原発事故さえなければとの思いで強く憤ります。「来年で10年ですが、何一つ生活は楽になりません。政府と東京電力が汚した土地は除染されず帰ることができない。生活も取り戻せていない。困窮する被災者の状況を想像せず、10年で勝手に区切りを付けようとするなど、ふざけるなと言いたいです」(つづく)

(「しんぶん赤旗」2020年3月9日より転載)