日本記者クラブ取材団の一員として入った東京電力福島第1原発(1F=イチエフ)の廃炉現場。事故から8年9カ月がたち、広大な敷地の96%は軽装で過ごすことができ、巨大な工事現場という印象を持った。しかし、原子炉の近くでは全面マスクなどの重装備をした作業員の姿や、外に持ち出すことができないがれきや廃棄物があふれた異様な光景があった。日常と非日常が混在していた。(野田勉)
■100メートル先に
1F構内には多くの人が行き交っていた。現在はピーク時から半分近く減ったが、それでも1日約4千人の作業員が出入りする。東京ドーム75個分の敷地は汚染度に応じてエリアごとに装備が決まっている。取材団は薄手のベストの胸ポケットに線量計を入れ、バスで構内を回った。
横一直線に並ぶ1~4号機が見渡せる高台は、それぞれの建屋まで100メートルほどの距離。水素爆発を起こした1、3、4号機のうち1号機は今も建屋上部がむき出しだ。鉄骨の内側にがれきの山も見え、無残な姿をさらけ出していた。取材団の軽装備とは打って変わって、建屋周辺には防護服を着た作業員数人の姿が見えた。
「ピピー」。10分ほどたつと1人の記者の線量計が鳴った。取材者に設定された1日当たりの上限被ばく量は100マイクロシーベルトで、20マイクロシーベルトごとに音が鳴る。東電の広報担当者は「ここで1時間取材したら終了となります」と説明。歯のエックス線撮影1回が10マイクロシーベルトのため、特に問題ないと分かってはいるが、1歩2歩と後ずさりする記者もいた。
■見えないゴール
次に4号機の目の前で降車した。昨年5月から軽装備で入れるよう規制が緩和された場所。地面はモルタルを吹き付けたり、厚さ5センチの鉄板を敷いたりすることで放射性物質を押さえ込んだという。広報担当者は「夏場は熱中症になる人が結構いるので、体の負担減や作業効率化につながっている」と強調した。
作業環境が改善したとする一方で、1~3号機の建屋内には溶け落ちた核燃料(デブリ)は手つかずで残ったままだ。放射線量はいまだ高いため近づけない。
計画では廃炉作業は30~40年かかるとされる。進捗(しんちょく)状況に関する記者の質問に広報担当者はこう答えた。「今、何合目という表現はできない。通常の原発の廃炉は解体して更地に戻すと決まっているが、福島第1の廃止措置は法的に定まっていない。ゴールとして決まっていないのが現状」。先行きは全く見通せていない。
1Fから数キロ離れた国道6号。帰りのバスの車窓から目に入ったのは、バリケードで封鎖された民家、荒れた田んぼ、除染廃棄物が入った黒いビニール袋の山…。いまだ帰還困難区域に設定されているため人けはない。一日も早く「日常」が戻ることを願いながら福島を後にした。
(2019年12月25日、福井新聞より)
味の濃い「作業メシ」 構内食堂で昼食・・ルポ福島第1原発の今
取材団の昼食は、作業員約150人が同時に利用できる原発構内の大型食堂で取った。メニューは定食や丼物など計5種類。390円均一の日替わりで大盛りは無料。福島県産の食材が多く使われている。「ハイカロリーで作業メシって感じですよ」と東電の広報担当者。記者が食べた牛丼も濃い味付けだった。
2015年に食堂ができるまで、作業員たちは弁当などを持ち込んでいた。約9キロ離れた給食センターから1日2千食分が運ばれるようになり、「温かい食事は元気がでる」と好評らしい。
食堂は中年男性が多かったが、中には女性や外国人の作業員もいた。テレビを見たり談笑したり、にこやかな表情が印象的だった。(野田)
(2019年12月25日、福井新聞より)