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「フクシマ」で高校生と地域を学ぶ①・・第1原発の町での始まり

私は、高校の社会科教師です。教師になって24年目、51歳になり、組合では書記次長を務めています。未熟な教師で、教職に向いていないと今でも時々落ち込みます。同僚や組合の仲間たちに励まされ、そして何より目の前の生徒にエネルギーをもらって何とか続けてきました。

これまで五つの高校に勤務し、福島県内の浜通り、会津、中通りを1回りしました。

福島県富岡町夜の森地区のさくら通り。初任当時よく通った美しい桜の並木通 は、いま、ゲートで分断されています。
福島県富岡町夜の森地区のさくら通り。初任当時よく通った美しい桜の並木通 は、いま、ゲートで分断されています。

初任は、福島第1原発の立地する大熊町の農業高校で、農業土木科の担任でした。活発な生徒が多く、謹慎・解除の生徒指導の切れ目がありません。力で押さえようと、言い分も聞かず一方的に怒り、生徒と取っ組み合いもしました。生徒は私より世の中を知っていて「先生もおとな気無いぞ」と止めに入り、真顔で「高校時代しかばかはできない」と言っていました。

教師や親に言われるまま、真面目に勉強だけしておとなになった自分にとって、異文化の生徒たち。力いっぱい夢中で過ごした時間は、今となってみると懐かしく、私を自己の未熟さと向き合わせ、耕してくれたように思います。一番忘れがたい教え子もこの当時の生徒たちです。

また、失敗を責める同僚はおらず、未熟な若い担任を支えてくれ、同僚性に溢れた職場でした。

大学まで自宅通学だった私にとって、初めて独り暮らしをした大熊町や周辺の地域は懐かしい場所です。まさか、そこを離れて17年後に原発が爆発するとは思いもしませんでした。原発反対運動にも関わりながら、初任当時は原発問題を満足に教える力量がありませんでした。

社会科教師として、学校のある地域に住み、地域の人々と触れ合い、生活の中で地域の歴史や課題を学び、それを授業で教えようとしてきました。しかし、自ら学ぶことが追い付かず、面白くなりかけた頃に転任することの繰り返しだったように思います。
(火曜掲載)
福島県 福島北高校 斎藤毅

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