東日本大震災での東京電力の福島第1原子力発電所事故は、原発と国民との共存はありえない、ということを明確にしました。ところが、原発利益共同体は国民世論に反し、原発再稼働を強力に推し進め、原発政策の再構築に固執してきました。東電事故後、電気事業連合会の会長職を東電から引き継いだのが関西電力でした。
当時、関電の社長だった八木誠氏は、2011年4月15日の電事連会長就任のあいさつで「今回の事故から得られた反省と新たな知見を十分踏まえて徹底的な安全対策を行い、立地地域をはじめ国民のみなさまの不安の解消・信頼回復に向けて全力を尽くしてまいる所存でございます」と強調しました。
それから8年後、関電会長となっていた八木氏は、森山栄治元助役(故人)との癒着・腐敗構造の発覚によって、会長辞任に追い込まれたのです。
蜜月三つの山場
関西電力と森山元助役の関係が構築されたのは、森山氏が高浜町入りした1969年前後だと考えられます。両者の関係を深める時期には三つの山場があります。
第1の時期は高浜原発1号機が建設される時期です。第2の時期が、高浜原発3、4号機建設・運転の80年代の時期です。このとき、森山氏は、高浜町の助役として町政に大きな影響力を有していました。
そして、第3に、11年3月11日の東日本大震災が発生。戦後の日本の原子力政策は、根本から問い直すことが求められました。しかし、同年12月16日の記者会見で、電事連会長の八木氏は「一日も早く原子力発電所を再稼働するため、地元のみなさまをはじめ国民のみなさまに、私どもの安全対策をご理解いただけるよう最大限取り組んでまいる所存であります」と強調しました。
関電の社内報告書は「原子力事業と立地地域の関係の深さ」と題した項で、次のように指摘しています。
「原子力事業においては立地地域の理解と協力が不可欠であり、とりわけ東日本大震災以降は、原子力をめぐるさまざまな問題が議論される中、立地地域の理解を得ながら事業運営を行っていくことがますます重要になってきている。このような状況において、当社は立地地域の自治体や地元有力者等に対し、発電所の運営情報等、きめ細かな情報提供を行うとともに、地元企業の活用等を通じて立地地域の経済振興にもコミットするなど、立地地域と深い関係を構築している」
原発再稼働を進めるため、「地元のみなさま」の理解を得られるようにと関電が行ったのは、地元有力者の森山氏との関係を温存・拡大していくことだったのです。
増え続けた発注
森山氏に資金を提供していた吉田開発に対する関電からの発注額を年度を追ってみると、表のようになります。
6年間で関電からの直接・間接受注は、合計64億7000万円に上ります。吉田開発への発注は、再稼働を進めるため、年をへるにしたがって拡大していきました。これらの事業費は、最終的には電気料金に転嫁されます。吉田開発が受注した事業の原資は、電気料金として利用者に転嫁されます。関電は11年以降、原発再稼働のために家庭向け電気料金を2度にわたって値上げしてきました。
森山氏から関電に還流した金品の原資は、電気使用料金です。関電と森山氏の癒着の被害者は、国民なのです。(つづく)
(「しんぶん赤旗」2019年10月17日より転載)