東京電力福島第1原発事故で、同社の旧経営陣3人を無罪とした東京地裁判決は、「当時の社会通念」を持ち出しました。当時の規制はそれを反映したものであり、「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」と断定。3人が「刑事責任を負うことにはならない」と結論づけました。
高度の安全性
判決はこうも述べています。
「(事故前)原子力施設の自然災害に対する安全性は、放射性物質が外部の環境に放出されることは絶対にないといったレベルの、極めて高度の安全性をいうものではない」
当時は「高度の安全性」は求められていなかった、というのです。
しかし、原発の立地地域の住民も含め、放射性物質を外部に放出することまで許容していなかったでしょう。
原発の安全性について「当時の社会通念」が何を意味しているのか―。
国や電力会社をはじめとする「原子力ムラ」が振りまいていた、「原発は大丈夫」「重大事故が起こることはない」という「安全神話」であり、それを基礎に原発を推進していた日本の原子力行政だといえます。
「当時の社会通念」の考え方に立って判決は、福島第1原発は「地震および津波に対する安全性を備えた施設として、適法に設置、運転されてきた」と評価。東電の安全対策について「行政機関や専門家を含め、東京電力の外部から、これを明確に否定したり、再考を促したりする意見が出たという事実も窺(うかが)われない」とまで言い切っています。
警告無視して
事実は違います。東電の安全対策に対し、警鐘を鳴らす外部からの意見は厳然とありました。
事故5年前の2006年3月、日本共産党の吉井英勝議員(当時)は衆院予算委員会で、チリ津波や38メートルの津波が襲った明治三陸地震に言及して津波への対策を提起しています。津波によって最悪の場合は炉心の冷却機能を失い、炉心溶融に至る危険を警告。経済産業省の旧原子力安全・保安院に抜本的な対策を求めました。
福島県では日本共産党県委員会、県議団、原発の安全性を求める福島県連絡会が07年7月、津波による過酷事故に至る危険があると、東電の勝俣恒久社長(当時)あてに津波対策で抜本的な対策を求め申し入れています。
こうした警告や申し入れを政府や東電が無視した結果、原発事故に至ったのです。(随時掲載)
(「しんぶん赤旗」年9月24日より転載)