東京電力福島第1原発事故をめぐって、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営陣3人の刑事裁判の判決が9月19日、東京地裁(永渕健一裁判長)で出されます。本紙は東電株主代表訴訟で証拠として提出された捜査記録などを東京地裁で閲覧。これまで一般に目にすることができなかった東電の内部資料も含まれています。資料やこれまでの刑事裁判で何が明らかになったのか―。
(「原発」取材班)
裁判の主な争点は、東電元会長の勝俣恒久(79)、いずれも元副社長の武黒一郎(73)、武藤栄(69)の3被告が、福島第1原発の敷地を超える津波の襲来を予見できたか、事故を防げたかどうかです。
長期評価予測
福島原発事故の始まりは2011年3月11日、地震による発電所内の電源設備の損傷、鉄塔倒壊で外部電源が失われたこと。その後の津波が原子炉建屋などを設置した敷地(海面から10メートルの高さで、「10メートル盤」と呼ばれた)を超えて押し寄せました。非常用ディーゼル発電機などが浸水し、原子炉を冷却する全電源を失ったのです。
検察官役の指定弁護士は、被告が予見できた情報として、東電が子会社の「東電設計」に業務を委託し2008年3月にまとめられた想定津波の計算結果を挙げました。従来の想定(5・4~5・7メートル)をはるかに上回る最大15・7メートルの高さの津波が第1原発に襲来するという内容でした。
この計算結果は、国の地震調査研究推進本部(地震本部、推本)が02年7月に公表した地震予測「長期評価」をもとにしています。長期評価は、福島県沖を含む日本海溝寄りのどこでもマグニチュード8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測しました。指定弁護士は、長期評価は科学的裏づけがあり、津波対策に取り込むだけの信頼性があったと主張しました。
当時、武藤被告と武黒被告は長期評価や「15・7メートル」の説明を受けたと証言しています。原発業務を統括する原子力・立地本部副本部長だった武藤被告は、原子力設備管理部長だった吉田昌郎元第1原発所長(故人)らが出席した08年6月10日の打ち合わせで、説明を受け、武藤被告の上司の原子力・立地本部長の武黒被告も吉田部長から09年4月~5月に受けました。
説明を受けた両被告は法廷で、長期評価を説明した責任者が「信頼性がない」といったので「私自身も(長期評価は)信頼性がないと思った」などと述べました。
しかし、被告の認識は、津波対策を検討していた社員らの証言と大きく違いました。
社員「採用を」
複数の社員の証言によれば、長期評価について「地震本部は権威ある機関」「否定する根拠がない」などの理由で、採用すべきだと判断していました。
社員らは、旧原子力安全委員会が06年9月に改訂した「耐震設計審査指針」に伴い、旧原子力安全・保安院から指示された安全性再評価の作業(「バックチェック」)にあたっていたからです。
改訂指針は、津波を「地震随伴事象」として、原子炉施設の設計に津波の影響を考慮する初の指針でした。社員らは最新の知見として、どんな津波を扱うかを検討していたのです。東電は当初、第1原発のバックチェック最終報告を09年6月に終える計画でした。
担当した土木グループの責任者で元社員は法廷で、長期評価の見解を取り入れなければ、再評価で合格しないと「首尾一貫して考えていた」と述べ、08年6月に武藤被告に説明した際も「長期評価を取り入れるべきだと強調した」と証言。この打ち合わせで、社員らは津波対策工事が必要だと進言し、武藤被告は、沖に防潮堤を設置するための許認可などを調べるよう指示しました。このため担当社員は、次回は津波対策の検討に入っていくことになると考えていました。
この時の資料には、最大15・7メートルの津波が敷地内に遡上(そじょう)することなどが記載されています。(図)
ところが、翌7月31日の再度の打ち合わせで武藤被告から言われたことは、担当社員にとって予想外でした。
社員は武藤被告から前回指示された検討結果や、「防潮堤建設費のオーダーとしては、数百億円規模」と記載した内容を報告。武藤被告は「研究しよう」と発言。長期評価の見解については、津波を評価する従来の手法を作った土木学会に検討してもらい、バックチェックは従来の手法で実施し、ただちに対策を進めない方針を指示しました。
これを聞いた担当社員は「予想していなかった結論で、力が抜けた」と証言しました。
一方、担当社員らはその後も、福島第1原発の所長らに対し、15・7メートルの想定津波や「津波対策は不可避」と記載した資料で説明するなど、津波対策が必要だという考えは変わりませんでした。しかし、具体的な対策はされないまま、3・11の事故に至りました。(つづく)
(「しんぶん赤旗」年9月17日より転載)