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福島に生きる 10%増税反対署名集める片寄隆司さん(69)・・心に深く残る父の一言

 

被災地で消費税反対署名に取り組む片寄さん=福島県いわき市

「災害復興住宅などを回り、消費税10%増税反対の署名を訴えると多くの人が応じてくれます」と話すのは、福島県いわき市の片寄隆司(かたよせ・りゅうじ)さん(69)です。

 「仲間たちと訪ねて約400人の署名が集まりました。『年金だけだから困っちゃうんだ。テレビに安倍(首相)が映ると頭にくる。テレビを切っちゃう。(安倍首相に)ギャフンと言わせっぺ』という声が聞かれます。消費税増税反対は市民の要求と合っている」と片寄さんは実感しています。

■一晩中眠れずに

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故のとき、自宅にいた片寄さん。つかまらないと立っていられない揺れに襲われました。余震が続き一晩中眠れませんでした。

 2011年3月14日に、3号機建屋が水素爆発。翌日の15日、妻が会社に出勤するものの仕事にならず帰宅。2号機で衝撃音。4号機の原子炉建屋で水素爆発が発生し、同日午前11時、半径20キロ~30キロ圏内は屋内退避の指示が出ました。原発事故は悪化する一方でした。

 神奈川県鎌倉市に住む次男は当時、3月20日に結婚式を予定していました。常磐道が通行止めとなり結婚式は延期せざるを得ませんでした。「バスをチャーターして親戚一同が福島から鎌倉まで行く予定でした。バス会社にも事情を説明して予約を解消していただきました。親として息子の結婚は楽しみだし、晴れの門出を迎えるはずだった息子ともども残念でした」

 常磐道の高速バスが東京まで行くことになり、3月18日に鎌倉市の息子のアパートに避難することにしました。ともに90歳の父母、兄の妻、弟の妻とその娘の7人で避難。息子のアパートと婚約者の家の離れの2カ所に別れて暮らすことになりました。

■原発ゼロを発信

 米など食料品の買い出しに出ました。父親が悲しそうに言いました。「自分で米、毎年作ってんのに、買って食うなんてなぁ~」

 現役で5反の米作りをしていた父親は「苗作りの準備もしなければならない」と、福島に帰ることを望みました。3月29日、いわき市に戻ることを決断しました。高齢の両親が生活の変化に順応できるかどうか心配になったからでした。

 父親は、17年に96歳で他界。「米を作っているのに米買って食うようになるとは思ってもいなかった」との父親の一言が、片寄さんの心に深く残ります。母親は、昨年も稲刈りした元気な98歳です。

 「原発事故から8年が過ぎ、財界は公然と原発にシフトしたエネルギー政策を主張し、安倍政治もオリンピックまでに福島事故が終わったかのようにしようとしています。消費税増税ノー、原発ゼロを福島から発信し続けます」

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2019年5月12日より転載)