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福島・浪江町民はいま・・望郷と新生活 ゆれる避難者

新春餅つき交流会で話す原田さん(正面左)=2019年1月6日、福島県二本松市

 東京電力福島第1原発事故のため全町避難をし、2017年3月末に帰還困難区域を除いた地域の避難指示が解除された福島県浪江町では、戻った町民が約900人、5%足らず。復興とはほど遠い状況です。戻れないでいる町民の思いを聞きました。(野崎勇雄)

「帰れる状態でない」

 前浪江商工会長の原田雄一さん(69)は6日、二本松市の復興公営住宅前で開かれた浪江町民と二本松市民の新春餅つき交流会でこう話しました。「町はみんなが安心して帰れる状態にはない。人間のつながりが故郷だと思いたいし、それならここで故郷を求めてもいいと思う。現実をきちっと捉え、生き方を考えるべき時に来ている」

 原田さんは、浪江町で眼鏡、時計、宝石などを販売してきた店の3代目。従業員を10人抱え、町商工会の役員もしていました。大震災・原発事故後は、12年から18年5月まで2期6年、町商工会長として会員の損害賠償と事業再開に腐心してきました。

 「事業再開は以前と同じようにはなかなか進まない。業種間に大きな差が出ているし、とくにコミュニティーと密接な関係にある商業に影響が出ている」と原田さん。母親と妻の3人暮らしです。一昨年11月に二本松で自らの店を再開させましたが、売り上げは事故前の約1割です。「原発事故で故郷を追われ、壊された。浪江町は戻ろうにも戻れないというのが現状だ」と言います。

 二本松市で購入した家に孫夫婦、ひ孫とともに住んでいた鈴木静子さん(82)は「行政からは復興しているという話がどんどん出るけど、私は全く復興していない」と話します。亡くなった夫の納骨直後に原発事故に遭い、避難しました。葬式のため戻っていた娘は、西日本の自宅に帰ってからの風評被害の心労がもとで、3年前に亡くなりました。「娘は原発事故のため死んだ」と憤ります。

 「近くに家をつくって新たな生活を始めた孫たちといるのはうれしい。しかし、浪江町に帰りたいという気持ちもある。夫と娘の墓があるから」。鈴木さんは静かに語ります。

(「しんぶん赤旗」2019年1月11日より転載)