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福島に生きる 新俳句人連盟福島支部会員 山口剛さん(86)・・学校再開 前を向いて

 福島県いわき市在住の山口剛さん(86)は、俳人です。

 2005年10月に新俳句人連盟福島県支部に入会しました。「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告の大内秀夫・同俳句人連盟会長や、戦後最大の謀略事件とされる松川事件(1949年)の被告だった鈴木信さん(故人)の推薦で入会しました。

■古里を追われて

 山口さんが旧制中学2年生の時に太平洋戦争が終わりました。

 ランドセル枕元におき防空壕

 終戦の8月15日―。「灯火管制が解けて部屋が明るくなったのがうれしかった」と戦争体験を語ります。

 「当時、私は軍国少年でした。負けるはずはないとたたきこまれており、『敗戦』は驚きでした」

 学校生活は、軍事教練一色でした。配属将校が帯剣制服で生徒への訓練に当たりました。

 軍国主義教育は敗戦で一変しました。それまで使われていた教科書は黒塗りにされて、民主教育に変わりました。

 「『民主』『民主』を繰り返す教員がいて『ミンシュ』というニックネームまで付けられた」

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に遭遇した山口さん。「時代に生きる課題は尽きません」と言います。

 「戦前は軍国主義教育と国家統制による思想統制、耐乏生活に苦しみました。今は、原発事故による放射能の拡散による被ばくに苦しみ、古里を追われていまだに帰れない。私たち福島県民はそんな苦しみを味わっています」

■教え子の数名が

 福島大学に学び、中学教師になった山口さん。「3・11」の大津波で「私が教鞭(きょうべん)をとった豊間中学校は浸水しました。建物は残りましたが、旧校舎から300メートル内陸部に移転しました。今年新校舎が完成し2学期は新校舎でスタートしました」と、ようやく復旧したことを喜びます。

 学校近くのいわき市平豊間(たいらとよま)・薄磯(うすいそ)地区は、「津波でほとんどの家が流されました。約200人が犠牲になりました。教え子の数名が溺死しました。中学校の近くの街はすべてと言っていいぐらい流失し、破壊されました」。東日本大震災と原発事故の脅威を語ります。

 新俳句人連盟福島県支部は、「東日本大震災原発事故」を詠む第3句集を今年3月に発行しました。山口さんの句も載っています。

 「卒業アルバム」流されし仮設の子に贈る

 今仮設公営に移るよ豊間の子

 死にたぐね仮設の老女すき間雪

 原発いじめ生きる生きるときめたぼく

 「3・11」から7年半が過ぎて「原発ゼロ実現に前進したい」と元気です。

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2018年11月6日より転載)