帰還率15%、支援と賠償打ち切り、除染終了
東京電力福島第1原発事故から7年半がたち、国は被災者への支援と賠償の打ち切りや除染の終了、強引な避難指示解除を進めています。復興期間を2020年で終了し、東京五輪を節目に原発事故を終わったものにしようとする政府の姿勢に、避難者はみな不安を口にします。
(高橋拓丸)
17年3月、避難指示解除準備区域と居住制限区域で避難指示が解除されました。しかし、住民の帰還率は約15%(18年3月現在)にとどまっているのが現状です。
郡山市のみなし仮設住宅に家族7人で避難している上野勝也さん(52)は、原発事故前は浪江町の自宅で金属加工業を営んでいました。「家はボロボロで機械もさびてしまった。子どもに技術を教える夢も絶たれました」とつぶやきます。
仮設供与も終了
特に深刻な問題は、福島県の応急仮設住宅の供与が、20年3月で終了することです。上野さんは「持病があるのでほかの仕事を探すのも難しい。これからどうすればいいか、本当に追い詰められています」と明かします。
帰還する住人も、生活インフラの整備に不安を抱えています。
富岡町から避難している北崎一六さん(70)は、自宅のあった土地に新たな家を建て帰還します。「一番不安なのは病院です。救急病院なのに先生がおらず休診だったこともあると聞きます。避難解除して終わりでなく、安心して戻れるよう支援を続けてほしい」といいます。
17年度末の時点で、避難指示区域内の避難者数は、約3万3000人(福島県発表)です。しかしこの数字は、自主避難者の一部や避難先で生活を再建した人は対象としておらず、実数はさらに増えます。日本共産党県議団は、避難者の正確な実態把握を県と国に強く訴えています。
線量監視を縮小
国は、避難指示が解除された地区について、早ばやと17年3月で除染が終了したとしています。
「夫は帰りたがってるけど、私はまだ怖い」と語るのは、福島市の復興公営住宅に住む女性(71)です。「除染が十分だとは思えず、このままではとても住めない。何も元通りにはなっていないし、私は今も、まだ事故直後の気持ちのままです」と憤ります。
福島県では、さらにモニタリングポストの縮小、17年3月で精神的賠償と自主避難者への支援打ち切り、20年産の米から放射線全量検査を抽出方式に切り替えるなど、被災者の命綱だったさまざまな施策の打ち切りが、20年にむけて進められています。
福島大学の川﨑興太准教授は、国が被災者や被災地の実態を無視して、20年度で「復興完了」の形をつくろうとする一連の問題を「2020年問題」と呼び、警鐘を鳴らしています。
日本共産党の神山悦子福島県議団長は7月26日の被災3県による政府交渉で復興庁に対し、「20年の復興期間終了までにさまざまな施策が終わる形になっており、地域に不安が広がっている」と指摘。復興特例措置の継続を求めました。
神山県議は、「根っこにあるのは、東京五輪までに福島を切り捨てて、原発の再稼働と輸出を推進しようとする安倍政権です。国の福島切り捨てにはっきりものを言わず、大型開発に進む県の姿勢も問われます。形だけとりつくろって原発事故が終わったように見せることは許されません」と話します。
(「しんぶん赤旗」2018年9月11日より転載)