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原発事故と震災を描くとは 木村朗子 国際学会・・「3・11後文学を今日的に考える」inパリ

 6月21~22日の2日間にわたって、フランス国立東洋言語文化大学で3・11後文学についての国際学会を行った。主催は同大学のアンヌ・バヤール=坂井氏、それに津田塾大学の木村朗子が共催で行った。

 パリでの開催にふさわしく、発表、議論の言語としてフランス語、日本語、英語の3カ国語が飛び交うものとなった。意思疎通には難しさがあるにしろ、全部英語にしてしまわなかったところにフランスでやる意義があったし、ことばに敏感であろうとする文学のあり方として実にまっとうな選択だった。

震災を基点に時間が再構成

 「3・11後文学を今日的に考える」と題した会議では、徹底して、7年が経過した今だからみえてくることに注視して議論された。総勢20名の発表者の多くは、震災後文学の論集を編集したり、自身の震災後文学についての著作があるか、または博士論文を書いているなど、この間、精力的にこの問題に取り組んできた研究者たちだ。

 会のはじめには、文芸批評家として震災当時の現代文学をみてきた沼野充義氏による基調講演があった。3・11後文学というのは、震災後に書かれたものというだけでなく、震災後に読みが変わるということを、沼野氏は3・11前の作品を以後の作品として「翻訳」していると表現し、翻訳が越境の方法なのだとすると、私たちはみな3・11以前から以後の世界への「越境者」であり「亡命者」なのだと位置づけた。

 この3・11以後の世界を生きているという認識は、会議中さまざまなかたちでくり返し確認されることになった。例えば多和田葉子氏のドイツ語の著作からフランス語への翻訳を手がけているベルナール・バヌン氏は、震災後の現在、「最近どうしてる?」といった気軽な挨拶(あいさつ)でさえも「あれ以後」どうしているか、といった問いになっていて、現在の時間は3・11を基点に再構成されていると述べた。

文学や映像…作品多く生む

 震災は東日本大震災だけではないし、世界中に津波の被害はあった。それでも3・11がとりわけ重要なものとして扱われるのはなぜかという議論もあった。日本文学の研究者だから、日本の大事に敏感なのは当然だとしても、ある災厄が以後の文学、映像、美術などの作品をこれほど多く生み出した例は戦争以来だ。それはやはり原発事故を起こしたからなのである。

 もしあのときフクシマの原発事故がなかったら、私たちはこうしてパリに集まっていなかっただろうという発言もあった。またバヌン氏からは同じ核の問題でも、ヒロシマ、ナガサキは戦争の文脈にあり、フクシマは平和の文脈のなかにあってコンテクストがまったく異なっているとの指摘があった。

 東日本大震災についての捉え方は、国際社会と日本とでは大きなギャップがあることもわかった。震災後文学の翻訳は、これまでの日本文学の読者とは異なる層が日本文学に注目するきっかけとなったという。震災を扱っているというので興味を持つ新しい読者を獲得したのだという。それに対して、日本では震災を扱う本は文学に限らず売れないし、読者にも敬遠される。なおかつ震災を扱う文学は評価されにくい。

 この問題に関して、アンヌ・バヤール=坂井氏は、たとえば震災を描いていないという批判はどのような意味なのか、どのように書けば震災を描いているといえるのか、そもそもなにが震災文学ないし震災後文学なのかという根本的な問いを投げかけた。

 1日目の最後には、『聖地Cs』『イサの氾濫(はんらん)』と精力的に以後の作品を発表している作家、木村友祐(ゆうすけ)氏による講演「生きものとして狂うこと―震災後七年の個人的な報告」と朗読が行われた。木村氏自身が「声を届けにきた」と述べただけあって、八戸のことばを交えた小説の朗読は圧倒的な迫力で観客を魅了した。(木村友祐氏の講演は『新潮』8月号掲載)

 2日目最後の発表は、『東北おんば訳 石川啄木のうた』を出した新井高子氏による「震災後文学が拓(ひら)く東北弁の可能性」であり、東北そしてことばの問題が大きなテーマとなった。

 最後に沼野氏の締めくくりの講演に述べられていたように、こうした会議が今後も継続的に行われ議論を深化させていくことが確認されて、次回を期しての文字通りお開きとなった。

 きむら・さえこ 1968年生まれ。津田塾大学教授。著書に『震災後文学論』『その後の震災後文学論』ほか。女性史学賞受賞

(しんぶん「赤旗」2018年7月11日より転載)