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福島に生きる・・家族の健康奪われた

浪江町津島訴訟原告 久山美子さん(59=仮名)

法廷で陳述後報告する久山さん=福島県郡山市

 久山美子さん(59)=仮名=は、福島県二本松市に生まれ、1982年に浪江町津島の羽附(はつけ)地区に嫁ぎました。

 庭には祖父の代から育ててきたカタクリ、ニリンソウ、クマガイソウがあります。原発事故が起きる3年前に約1000万円をかけて、洋間を増設。結婚した子どもたちと同居する計画でした。

 原発事故は、そうした当たり前の生活を奪いました。「3・11」、立っていることのできない揺れに襲われました。義母と家の外に逃れました。

 福島市内に住む息子は「すぐに避難するように」と言ってくれましたが、羽附地区の組長をしていたために、避難してくる人たちに炊き出しなどで、長男の家に避難したのは3月15日になってからでした。

■過酷な避難生活

 その後、親戚の家など、半年で4回引っ越し。本宮市の仮設住宅で5年間生活することとなりました。

 仮設での暮らしは過酷でした。

 水の音、お風呂のシャワーの音、足音。隣の家の音が丸聞こえ。

 義母は、ストレスから突然、怒りを爆発させ感情をコントロールできなくなりました。美子さんも眠れなくなり、体調不良になりました。

 一昨年、夫が脳内出血で倒れました。寝たきりや半身不随になることは避けられましたが、言語障害、記憶障害の後遺症は残っています。水を飲むとむせる、トロミを付けてゼリー状にしてやっと飲む状態となりました。相手の言うことは理解できるものの、頭で思っていることをうまく表現できないのです。

 美子さんは、毎晩泣く日が続きました。

 2015年に福島市に移りました。

 美子さんは、避難生活のなかでも、福島市内で看護助手の仕事を続けてきました。

 「やりがいのある仕事でした」

 大変な時やつらい時もありましたが、患者さんが笑顔で退院していく姿はとてもうれしいことでした。

■周囲の無理解が

 しかし、「賠償金をもらい、さらに給料ももらっている」などの声が聞こえるようになりました。18年間勤務した福島の職場を退職せざるを得なくなりました。

 避難者の苦労に対して、国も東電も無理解でした。「裁判しかない」と浪江町津島訴訟原告に加わりました。

 5月25日、福島地裁郡山支部で久山さんは、原告の1人として意見陳述をしました。

  「私たち家族は健康まで奪われました。毎日不安な日々が7年たっても続いています。『ふるさと』を追われた私たちにしか分からない、つらい経験をしました。笑顔がなくなりました。悔しい思いをわかってください。国、東電は、自然豊かなふるさと津島を返してください」(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2018年6月17日より転載)