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津波15・7メートル予測・・東電 原発事故公判で鮮明“対策怠った旧経営陣”/社員らが証言

 

東京電力福島第1原発=2月24日(本紙チャーター機から、三浦誠撮影)

 東京電力福島第1原発事故をめぐって、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の元会長勝俣恒久被告(78)ら旧経営陣3人の公判が東京地裁(永渕健一裁判長)で続いています。4月に集中して開かれ、同社で事故前に津波対策を担当した社員とその上司の管理職だった元社員への尋回が5回行われました。社員らが、高さ最大15・7メートルの巨大津波を想定し津波対策を前提に検討を進めていたのに、当時原子力・立地本部の副本部長だった元副社長の武藤栄被告(67)に報告すると、「保留」を指示された様子などが詳しく明かされました。(「原発」取材班)

 裁判の争点は、事故につながる大津波を予見できたか、対策を取っていれば事故を防げたかどうかです。

 その焦点が、事故の9年前の2002年7月に政府の地震調査研究推進本部(地震本部、推本)が公表した地震予測「長期評価」を社内でどう取り扱っていたかです。「長期評価」が、太平洋の日本海溝沿いの福島県沖を含む三陸沖北部から房総沖でマグニチュード8クラスの大きな津波を伴う地震の可能性を指摘していたからです。

耐震指針改訂受け

 社員は長年、東電の「土木調査グループ」に所属し、津波水位高の計算や津波対策を担当。裁判で検察官役の指定弁護士から問われ、津波想定や対策に当たって「『長期評価』を取り入れるべきだった」と繰り返し証言し、現在もその考えは変わらないとはっきり述べました。同グループの管理職だった元社員も「地震本部の見解を取り入れざるを得ないというのは、首尾一貫していた」と証言しました。

 07年7月の新潟県中越沖地震後、社員はグループの課長として、旧原子力安全委員会が決定した「耐震設計審査指針」の改訂(06年9月)に伴い、既存原発の安全性の再評価を行う作業(「バックチェック」)を担いました。改訂された指針は、従来の指針で触れられていなかった津波を「地震随伴事象」として、原子炉施設の設計に当たり津波の影響を考慮するという初の指針。経済産業省の旧原子力安全・保安院は電力各社に「バックチェック」を求める指示を出しました。

 社員は、最新の知見として、どんな津波を取り扱うかを検討。同年11月ごろから、「長期評価」の見解を取り入れるべきだと考えていました。社員は、そう考えた理由について、10メートルを超える津波の発生確率が「1万年に1回」から「10万年に1回」の間という値が得られ、地震学者などへのアンケートで「長期評価」を考慮すべきだとの意見が半数を超えていたことなどを挙げました。

報告するも「保留」

 東電は08年1月、地震本部の「長期評価」に基づいた分析を子会社「東電設計」に業務委託。委託承認書には、吉田昌郎・設備管理部長(故人、福島第1原発元所長)らも押印。2月に福島原発でバックチェックの打ち合わせがあった際の説明資料には「地震本部の見解は無視できない」と。説明者だった元社員は現場に「注意喚起した」と述べました。

 3月に東電設計から、海抜10メートルの敷地を大きく超える最大15・7メートルの津波が襲来する可能性があるとの計算結果が報告されました。社員は、対策を実施すべきだと感じたといい、管理職だった元社員は「『そんなになるの?』と驚いた」と証言。吉田氏も「えっ、そんなに高くなるのか」と驚いていたといいます。

 3月末に東電は、津波の問題を含まないバックチェック中間報告を保安院に提出しました。

 社員らは6月10日に、武藤氏に「長期評価」を取り入れるべきだとする理由や津波対策工事の検討内容を報告。その際、武藤副社長からは、防波堤設置に必要な許認可を調べるよう指示されました。

 ところが、1ヵ月余たった7月31日の再報告で武藤氏から、理由も示されないまま津波対策は「保留」になり、「研究を継続する」と言い渡されました。「長期評価」の見解を取り入れる方針は「変更」になりました。社員は「予想していなかった結論で、力が抜けた」と、当時の気持ちを述べました。

 管理職だった元社員は武藤氏から、この方針「変更」について「専門家に相談し、感触を調べてくれ」と指示されました。しかし、9月に福島原発で開かれたバックチェック説明会で「推本(地震本部)の見解を完全に否定するのは難しい」「津波対策は不可避」としていました。

 社員は10月、4人の外部専門家と面談。複数の専門家から「原子炉が暴走するような重大事故は絶対にあってはならない」「『長期評価』の見解を取り入れないなら、根拠がいる」と指摘されます。しかし、社員が吉田氏に面談結果を報告したころは、設備管理部として「長期評価」の見解を取り扱わないと決まったといいます。

貞観も取り入れず

 取り扱わないことを決めたのは「長期評価」の見解だけではありませんでした。

 社員は会った専門家から同じ10月、平安時代の869年に東北地方を襲った「貞観(じょうがん)津波」の研究論文を「参考にして」と提供されました。東電は、貞観津波に基づく計算も実施。最大9封の津波が福島第1原発を襲う結果でした。想定(最大5・7メートル)を大きく超えたのです。

 しかし、当時、同じ太平洋側に女川原発(宮城県)を有する東北電力は、貞観津波をバックチェックに取り込む検討をしていました。

 東電と東北電の担当者がメールでやり取り。東電が貞観津波を取り入れないと伝えたのに対し、東北電の担当者は「記述を進めている」と。これに対し上司が東北電の担当者に「同一歩調が最も望ましい」として、貞観津波を「参考資料にとどめては」とメールを送っていました。結局、東北電は貞観津波を「参考」扱いにしました。

 このやり取りについて社員は、「貞観津波も大きな津波。バックチェックに大きな影響を与えるので気にしていた」と述べました。

 

  東電は事故調査報告書に、15・7メートルの津波水位を「仮想的な試し計算」などと書いています。しかし、現場の担当者は、こうした計算を国が求めるバックチェックに必要と考え、津波対策を検討していました。それが08年7月末になって、上層部が「保留」と裁定します。津波対策を先送りにするためにさまざまな「工作」も行っていました。上層部がなぜ「保留」にしたのか。今後の裁判の焦点です。

 

東電福島第1原発事故公判 勝俣恒

  久元会長(78)、武黒一郎元副社長(72)、武藤栄元副社長(67)の3被告が業務上過失致死傷罪で強制起訴された公判。起訴状で、3被告は、津波の襲来で事故が発生する可能性を予見できたのに、運転停止を含む防護措置を取る義務を怠り、漫然と運転を継続。長時間の避難を余儀なくされた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させたなどとしています。3被告は無罪を主張しています。

(「しんぶん赤旗」2018年5月2日より転載)