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原発裁判通じ理論進化・・社会的な変化・世論が判決に影響

 

いど・けんいち 1954年大阪府生まれ。79年神戸地裁判事補に任官。 2006年金沢地裁裁判長として志賀原発2号機の差し止めを認める判決。現在は弁護士。滋賀県彦根市在住。

 元裁判官で原発訴訟に取り組んでいる井戸謙一弁護士は、各地でたたかわれている原発訴訟について、裁判を通じた「理論の進化」を指摘しています。原発訴訟の現段階について聞きました。(松沼環)

 

嘉判官井戸謙一弁護士に聞く

電力会社に立証責任

  ―最近の原発訴訟の流れをどうみていますか。

 井戸 少なくとも立証責任については、「3・11」の東京電力福島第1原発事故の前とは変わって、進化しています。

 九州電力川内原発の再稼働を認め住民の抗告を棄却した福岡高裁宮崎支部決定(2016年4月)がその部分でインパクトがありました。宮崎支部決定は立証責任を被告電力会社にあるとして、それ以降のほかの下級審の判決、決定もこれを踏襲しています。

 最近、それを全く無視したのは、関西電力の抗告を認め、高浜原発の運転停止を命じた大津地裁決定を取り消した大阪高裁決定(17年3月)です。大阪高裁決定は、古色蒼然(そうぜん)とし、住民側に立証責任を課すなど3・11前と全く同じことを書いています。

 四国電力伊方原発をめぐる広島や松山の両地裁(17年3月、同7月)と広島高裁(17年12月)も立証責任が被告電力会社にあるとしています。ただ、九電玄海原発をめぐる佐賀地裁決定(18年3月)などでは、揺り戻しの動きも懸念されます。電力会社に立証責任があるとする考えを定着させるために一段と取り組みを強めたいです。

 さらに、総論では電力会社に立証責任があるとしても、各論で言葉をごまかし、実質的に原告住民側に立証責任を負わせている操作がなされているものも多いです。

 そういったことをしなかったのが昨年12月の広島高裁決定で、そのまま立証責任を被告電力会社に課して、伊方原発を差し止めるという結論になっています。

安全性の論点・特徴

  ―裁判が、市民の情報や学者の良心の集約場所になっていると指摘されていますね。

 規制基準など現在の論点はなんですか。

 井戸 それぞれ、裁判ごとに特徴的な問題が、クローズアップされています。特に地震については、多くの原発で基準地震動の策定に「入倉・三宅式」を使うのが妥当なのかどうかという問題は、かなりの原発に共通します。元原子力規制委員会委員長代理の島崎邦彦氏が過小評価になる場合があると提起された問題ですね。

 さらに原発が立地する地盤の問題があります。関電の大飯原発や高浜原発がある若狭湾周辺の地盤は硬くて均一だから、地震動の増幅などは考えなくていいというのが、関電の主張です。しかし、学者の協力で、関電の調査方法が不十分であるとか、その評価が非常に恣意(しい)的なことが、いくつかの裁判で原告側か主張しています。

 さらに火山灰の原発への影響評価ついては、裁判を通じて問題が指摘され、規制委が審査ガイドを改定する事態になりました。

社会が決めるリスク

伊方原発3号機の運転差し止めを命じた広島高裁決定を受けて、旗を掲げる住民側弁護士ら=2017年12月、広島市

  ―そもそも規制基準が前提としている原発の安全のレベルについて、原告には異議があるように思いますが。

 井戸 その問題は本来、分かりやすい議論だと思っています。

 どれだけ原発の安全対策に金を使っても100%安全にはできないわけですから、どの程度のリスクなら容認できるかは、社会が決めることであると、裁判所も認めています。

 しかし、社会がどこまでの安全性を認めているのかを裁判所が判断しないといけないのですが、そこが無視されています。裁判所の今の大勢は、原子力規制委員会が新規制基準を作るときに前提とした安全のレベルが、社会通念だと短絡してしまうのです。根拠は何もないにもかかわらず。

 福島第1原発事故が起こったことを前提に、電力供給における要否とか、コストとか、世界の情勢とか、いろんな要素を踏まえ、もし原発を動かすとしたら日本社会がどのレベルの安全性を求めるのかを、裁判所は、規制委の考えとは別に考えなくてはいけないはずです。そのように判断した裁判所はまだありません。

裁判所の果たす役割

  ―なぜでしょうか。

 井戸 本来は、そこに取り組んで裁判所としての見解を示さなければ、個別の問題について判断を示せないはずです。

 これまでの判決などでは、規制委に専門家として規制基準を決める裁量を認め、裁判所が判断するのは、その裁量の範囲を逸脱して乱用しているかどうか、看過し難い過誤・欠落があるかどうかでした。

 しかし、どのレベルの安全性を求めるべきかについて原子力規制委員には専門性はありません。原子力工学の専門家が、社会がどういう安全性を求めているかについての専門性はないからです。

 規制委に裁量のない事項について、裁判官が1から考えて判断しなくてはいけない。それが、本来的な裁判の考え方です。

 しかし、徐々に変わっていくと思います。「3・11」前のほとんどの判決は住民側の訴えを棄却しましたが、棄却の理由が、原発は必要だという趣旨でした。

 最近の判決や決定に原発が必要だとは書いていませんから、そのことが、安全のレベルに影響を与えなくてはいけない。まだそこにきちんと取り組んでいる判決がなく、次の課題だと思っています。

市民運動に期待する

  ―「市民運動が裁判を後押しし、裁判が市民運動を励ます」と述べていますね。今後、運動に期待することは。

 井戸 裁判官が思い切った判断をしようとしたときに、世論が味方してくれる実感のようなものは、やはり大きいと思います。

 原発はいらないという世論は、「即時ゼロ」と「いずれゼロ」を合わせれば7割から8割です。これは動かない状況です。これまでは、これが政治の争点化していませんでしたが、小泉純一郎、細川護煕両元首相が顧問をしている原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟が呼びかけ、野党4党が共同で原発ゼロ法案を国会に提出しています。

 また、再生可能エネルギーのコストダウンが著しい。すでに原発は経済合理性がないことがはっきりしました。そうした社会的な変化が裁判に与える影響が重要だと思っています。

 原発に将来がないのははっきりしています。いずれゼロになるのは間違いありませんが、問題はスピードです。福島のような事故を二度と起こさず、その前にゼロにできるかが大きな問題です。

(「しんぶん赤旗」2018年4月23日より転載)