東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から7年が過ぎました。福島市飯野町で、福島県民の医療に携わる生協いいの診療所所長の松本純医師に、地域医療の実情を聞きました。 (岩井亜紀)
生協いいの診療所所長 松本純医師に聞く
長期化する避難生活が、県民の健康に大きく影響しています。福島県内では、直接死が1605人でしたが、震災関連死は2225人を超えました。岩手県の464人、宮城県927人と比べても非常に多く、自殺者も後を絶ちません。
飯野町は人口約5500人の静かな山あいにある町です。原発事故後、少子高齢化に拍車がかかっています。診療所は主に、外来診療と在宅診療、通所リハビリテーションを行っています。飯野町は避難指示区域とはなりませんでしたが、避難となった近隣の市町村からの人々の医療や介護にかかわってきました。
家族がバラバラに
大震災・原発事故により、地域医療に関して新たな問題があります。高齢者の介護や終末期医療、看(み)取りの場です。
事故前までは、多くが3、4世代同居の世帯でした。こうした世帯が避難する、しないで、ばらばらになってしまっています。かつては本人の希望する場で子や孫に囲まれながら息を引き取る高齢者の姿がありました。今はこれが困難な状況です。
ある90代女性は避難前までは、9人の大家族で商売をしていました。避難指示が出た後、数力所移動し、家族は教育・介護などの事情でばらばらに。本人はサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)でひとり暮らしになり、入退院を繰り返し、サ高住で亡くなりました。
100歳近い母親と仮設住宅に入った70代男性は、不眠や腹痛下痢、頭痛を訴えるも、薬が効きません。放射線量が高くても自宅に戻ると症状は消失しました。母親の要介護度は当初、要支援士でしたが、要介護2に進みました。自宅でのターミナルケアの態勢を試みましたが、その後、心不全で、病院で亡くなりました。
90代の夫妻は一家6人で、借り上げ住宅に入りました。夫は肺炎にかかり寝たきりとなって、借り上げ住宅で家族に見守られるなか、看取りました。事故前はほぼ自立していた妻は避難生活の中で認知症になり、デイサービスとショートステイを利用。昨年3月、避難指示解除になり家族は町に戻りました。同町では介護事業所が成り立っていません。妻は一人飯野町のグループホームに残りましたが、この先介護度がすすんだらどうするか不透明です。
窓口負担は無料に
「3・11で時が止まったまま」と言う言葉を使うことがありますが、時は止まってくれません。避難指示が出たときはみんなと一緒にリュックを背負って歩いた高齢者も、7年たてば避難先で老衰、寝たきりになるのです。
避難指示が解除された地域の住民は、医療費窓口負担の援助がいつ打ち切られるか不安です。いまだに住民は1割も戻ってきていません。こうした状況の中では窓口負担は無料にすべきです。
(「しんぶん赤旗」2018年4月5日より転載)