福島県双葉町に立地し、東日本大震災・東京電力福島第1原発事故のため避難し、分散授業を続けたものの、中高一貫校の開校に伴って生徒の募集が停止され、昨年3月末で休校になった県立双葉高校。考古学など、同県浜通りの地域史研究に大きな足跡を残した同高史学部の活動が改めて注目されています。(福島県・野崎勇雄)
双葉高校の歩みをまとめた企画展が、福島県白河市の県文化財センター白河館(まほろん、菊池徹夫館長)で開かれています。
同高は1923年(大正12年)に旧制双葉中学として開校し、野球部が甲子園に3度出場するなど部活動も活発でした。同高史学部は終戦後の47年に社会科研究クラブとして発足し、後に史学部と改称。発足当時から考古学活動を始め、浜通り地方各地で地元教育委員会が行った発掘調査に参加、遺跡の表面調査などもしました。
文化祭で考古資料を展示公開し、積極的に文化財を普及。部員が行った遺跡調査は『福島県史』の遺跡地名表などに反映されました。考古調査だけでなく民話の聞き取りや空襲被害調査なども含め、地域史研究に大きく貢献しています。
「驚きだ」の声
企画展会場の最初のコーナーには、部室に保管され、原発事故後に校舎内から救出され、クリーニングなどが施された品々が並んでいます。遺跡発掘調査図面や出土遺物の実測図面、写真類、遺跡踏査記録、埋蔵文化財発掘調査届出書、古墳群調査一覧表、専門的な測量機器類…。当時の部員たちの活動ぶりが目に浮かぶようです。
地名を墨書さした出土品も多く、おおよその発見年代が想像できる貴重なもの。骨角器、骨製小玉、獣骨類、貝殻など貝塚出土資料には、二つの高校にこれだけあるのは驚きだ」との声が出ています。
次のコーナーには、各教育委員会の発掘調査で出た遺物(現在、まほろんに避難)と、その発掘に参加した部員たちの活動風景写真などが展示されています。渦巻き文や武人・動物を描いた朱彩の壁画が確認され、後に国指定史跡となった清戸迫(きよとさく)横穴墓群(双葉町)、縄文早期の土器が出土した大平(おおだいら)遺跡(大熊町)など歴史的な発掘作業にも参加してきたのです。
画期的な成果
考古調査以外では、相馬藩時代の城下町と武家屋敷の調査、相馬市と双葉郡で民話の聞き取り調査も行ってきました。事前に昔話採集の手引書をつくったうえで聞き取り、記録に残した本格的なもの。89年には相馬・双葉地方の各市町村で空襲被害調査を実施。成果を文化祭で展示し、部誌『双葉史学』第16号に「相双(そうそう)地区空襲被害調査報告」としてまとめました。相双地区全体の空襲被害調査はこのときが初めてで、新聞でも紹介されるなど画期的な成果でした。
同企画展は3月4日まで開催。1月28日午後1時からは、同高史学部で活動した吉野高光氏(双葉町教育委員会職員)が講演します。
「3・11」後に受け継ぐべき成果
福島県文化財センター白河館の本間宏学芸課長の話
原発事故に見舞われた地方のなかには、自分たちの故郷の歴史や文化を実地で調べるチャンスが失われている地域があります。今回の災害の大きな課題の一つは「3・11」を境に故郷の文化と歴史が分断されたことです。「3・11」は郷土の歴史の歩みの通過点であり、それ以前の歴史を踏まえて原子力災害をとらえ直す必要もあるうかと思います。被災地の文化財をいかに受け継いでいくべきか、過去に地元の郷土史を調べていた双葉高校史学部の取り組みを掘り起こし、伝えることは大きな意義があります。
(「しんぶん赤旗」2018年1月11日より転載)