10月21日土曜日、衆院選の前日のことです。
JR常磐線の竜田駅(福島県双葉郡楢葉町)と富岡駅(双葉郡富岡町)の間の6・9キロの区間が、6年7ヵ月ぶりに運転を再開しました。
東京電力福島第1原子力発電所がレベル7の深刻事故を起こしたことによって「警戒区域」となった地域の避難指示は、次々と解除されています。
2016年7月12日の小高区全域の避難指示解除に合わせて、原ノ町駅が終点になっていた常磐線が南に2駅、磐城太田、小高まで復旧し、2017年3月31日の浪江町一部の避難指示解除に合わせて、さらに2駅、桃内、浪江までが復旧しました。
今回、竜田―富岡間が復旧したので、これで浪江駅から富岡駅の間の不通区間は、双葉、大野、夜ノ森の3駅になりました。
事故原発の立地自治体にある駅を再開させることに反対意見があることは知っています。
わたしが暮らしている南相馬市小高区の帰還者は2208人(原発事故前は1万2842人)、富岡町は240人(原発事故前は1万5960人)で、うち65歳以上の高齢者の割合は5割を超えています。
住民の長期避難によってスーパーや薬局やホームセンターや個人商店などは閉店し、介護・医療体制は崩壊しています。
わたしは、小高駅のプラットホームで、カートや杖を握りしめてベンチに座っている高齢者に何度か話し掛けました。運転免許を返納したという80代のおじいさんや、避難先で免許を持っていたおじいさんが亡くなり、独りで小高に戻ったという80代のおばあさんにとって、常磐線は、日々の買い物や病院通いに不可欠な鉄路なのです。
常磐線が1駅また1駅と復旧すると、帰還住民たちは涙を流しながら列車に向かって手を振ります。
東京から取材に来た新聞記者に「鉄道が1駅つながって大喜びするなんて、開拓地みたいですね」と言われたことがあります。
開拓とは、未開の地に分け入り住居や農地を造り、上下水道、ガス、電気などを整備し、道路や鉄道などの交通網を構築して、集落から町へと生活圏を拡大する初期の過程です。
いま、福島県の相双地区は、地震、津波、原発事故によって全てを奪われたところから、一つ一つを取り戻していっているのです。
その「開拓」の道程を、わたしは住民として歩んでいます。その歩みの中には、苦しみもありますが、喜びもあります。
10月21日に、家族3人で富岡町から常磐線に乗り、鉄道は、人と土地とを結ぶ絆そのものだと、わたしは全身で感じました。
(ゆう・みり作家写真も筆者)(月1回掲載)
(「しんぶん赤旗」2017年10月30日より転載)