2012年4月から収録をはじめた臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」「柳美里のふたりとひとり」の出演者も今月500人を超えました。
毎回、地元のお二人にご出演いただいているのですが、先日は、南相馬で造園をやっているSさん(59歳)と妻のFさん(58歳)のお話しをうかがいました。
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Sさんのご自宅は、原発から20キロ圏内にあるのですが、年間の被曝線量が20ミリシーベルトを超える恐れがある場所として「特定避難勧奨地点」に指定されました。(2014年12月28日に、南相馬市内の152世帯の指定が解除され、特定避難勧奨地点はなくなりました)
あの時、Sさんのご自宅は新築中で、棟木を組み終わり、上棟式を間近に控えていました。
地震ではビクともしなかったのですが、線量が高かったために取り壊すしかないか、と苦渋の決断をして施工会社に伝えたところ、「そりゃダメだ、契約しってから。大工の職人らも困ってっから」と言われ、「特定避難勧奨地点」に指定される中で家の建築を進めざるを得なかったと言います。
Sさんは、南相馬市から130キロ離れた会津若松市に避難し、6畳と2間のアパートを借り上げて、家族10人と10歳になる犬のクンクンと3ヶ月間過ごしました。「柳さん、着の身着のまま逃げたから、ヨークベニマルに弁当を買いに行ったんだよ。弁当売り場にいたおじいさんに、『南相馬から避難してきたんですよ』と話し掛けたら、おじいさんの顔色がみるみる変わって、『放射能が感染る!』と叫んで、外に飛び出したの。そしたら、客も店員も悲鳴をあげて、みんな出口に雪崩を打って逃げ出したんだわ。おれ、呆然としちゃって・・・奥から店長が出てきて状況を説明したら、『すみません』と謝られて、お弁当を30コも段ボールに入れてくれて、『お金はいいです』って言われたんだけど・・・」
その話を聞いて、ハンカチで目頭を押さえた妻のFさんが言いました。
「この人は仕事人間で,子どもの学校の行事には一度も出たことがないんです。父親として最低です。でも・・・」
「おれは、子どもに背中を見せようと思って、日曜祝日も関係なく働いたんですよ。その甲斐あってか、長男が後を継いでくれるって話になっていたんですけれど、特定避難勧奨地点に指定されて、造園は自粛してくださいって言われて、長男が、火力発電所のメンテナンスの方の仕事をやるから勿来(なそこ)に行っていいかって言うから、仕方ないだろうって・・・」
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避難先から住民が戻るにつれ、長年付き合いのある顧客から庭野手入れをしてほしいと声がかかるようになりましたが、後継者である長男と2人の従業員は戻らず、Sさんはたった独りで仕事をしています。
Sさんが40年間たゆまない努力をして培った行き方を充たしていた誇りは、決して金銭などには換算し得ないものです。
原発事故が住民から奪ったものは、1人1人の生活の充実なのです。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者) (月1回掲載)
(「しんぶん赤旗」2017年5月29日より転載)