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南相馬 柳美里が出会う㉓・・記憶の死者のような花

富岡町夜ノ森地区の桜並木

 この6年間、毎年同じ桜を見ています。

 福島県双葉郡富岡町の夜ノ森の桜です。

 「夜ノ森」の謂れは、この地を境に南が磐城平藩、北が相馬中村藩の領地で、双方が「余の森」だと言い張り譲らなかったためだと伝えられています。

 夜ノ森には、1500本の桜による約2・5キロの並木道があります。

 夜ノ森に最初の桜を植えたのは、現在の南相馬市小高区に生まれた半谷清寿です。半谷は1906年に『将来の東北』と題する本を刊行しています。

 「磐梯の噴裂、三陸の海嘯、三県の凶飢、何ぞ其の悲惨なる。更に遡りて戊辰の役に於ける創痍亦何ぞ深痛なる(中略)今日の東北は独り東北人の昏睡酷眠を許さざるのみならず、奮然斯起以てあらゆる艱苦と格闘して、自家の新運命を開き来らざるべからざるの時に遭遇せるものなり」

 半谷は夜ノ森の農地開拓に取り組み、理想の村の象徴として、染井吉野の苗木300本を植えました。それから百年に渡り、住民の方々が夜ノ森を桜の名所にするために、桜を殖やし、育て、守り続けてきたのです。

 しかし、富岡町は東京電力福島第2原子力発電所の立地自治体です。2011年3月11日に東日本大震災が起こり、第2原発は現場の命懸けの努力によって危機を免れましたが、大熊町と双葉町に立地する第1原発は3基がほぼ同時にメルトダウンするという大事故を起こしました。

 第1原発から半径10キロ圏内に入る富岡町は「警戒区域」に指定され居住を禁じられたために、町民たちは今も散り散りの避難生活を余儀なくされています。

 わたしが初めて夜ノ森の桜の下を歩いたのは「警戒区域」に指定される前日のことでした。桜は満開で、無人となった町で咲き誇っていました。

 富岡町の避難指示は、今年の4月1日に、線量が高い「帰還困難区域」を除いて解除されました。

 夜ノ森の桜並木は真ん中にゲートがあり、ゲートの向こうは「帰還困難区域」として閉ざされています。

 毎年、通行証を持つ住民の方の車に同乗させていただき、「帰還困難区域」の桜を見て歩いています。4月に入ると、満開の時期を予想して日取りを決めるのですが、この時期は気温の変動が激しく、浜通り特有の強風にも見舞われるため、すっかり葉桜になっていたり、まだ蓄だったりで、なかなか2011年のような満開の桜を見ることはできませんでした。

 それが、今年は、満開だったのです。

 桜は、懐かしい人の面影を連れ帰ってくれる記憶の使者のような花です。

 わたしは、半谷清寿の理想に燃えた眼差しと、桜の樹を見上げて開花を心待ちにしていた住民の方々の眼差しを全身に浴びているように感じました。

 いつか、この地で、理想と暮らしが蘇りますように、とわたしは満開の桜に黙礼しました。

(ゆう・みり作家写真も筆者)  (月1回掲載)

(「しんぶん」赤旗2017年4月24日より転載)